日本に定住した日系ブラジル人たちはいま何を思うのか
日本で暮らす外国人の中でも、他の国から来た人々と比べて、ブラジル人にはある特徴がある。それは、永住者や定住者といった身分に基づく在留資格を有している人が圧倒的に多いということだ。在留ブラジル人の、実に99%を占める。
これには理由がある。1980~90年代、バブル期の日本は深刻な人手不足だったが、当時は今以上に外国人労働者受け入れへの抵抗感があった。そこで目を向けたのが、海外にいる日系人(日本から海外に移住した人々およびその子孫)だったという。
1989年の入国管理法改正(施行は90年)で、日系3世までには「定住者」としての在留資格が与えられるようになった。かつて海外に渡った日本人の子や孫ならば、日本での就労制限がなくなり、どんな職業にでも就けるようになったのだ(その他の在留資格では、工場などでの単純就労が認められていない)。これによって、多くの日系ブラジル人が日本に「出稼ぎ」に来るようになった。
大泉町は、そうした経緯からブラジル人が増えた町の典型と言っていい。歴史的に製造業が盛んなこの町には、スバル(富士重工業)や三洋電機(現・パナソニック)といった大手企業が工場を構え、多くの労働者を必要としていた。そこで町ぐるみで日系人を受け入れる体制を作ったのだ。
その結果、大泉町に住む外国人の数は5年間で3倍になり、静岡・浜松市や愛知・豊田市と並ぶ、日本有数の「ブラジルタウン」となっていったのである。
大泉町で「なんちゃってサンバ」が果たした役割
ブラジルと言えば、サンバ。東京・浅草で開催されている恒例のサンバカーニバルは、今や50万人の来場者を誇る人気行事だが、「本場のサンバ」が見られるのは、この大泉町だという。
貴重な労働者として町に移り住んでくれた日系人たちのために、地元の商工会議所が「何か息抜きになるようなこと」を提供しようとして持ち上がったのがサンバだった。「ブラジル人ならば、やはりサンバだろう」という発想は、確かに納得できる。
だが、実際はそうでもないらしい。当初から地元サンバチームのまとめ役として関わってきた女性(日系3世)も、ブラジルでは一度も踊ったことがなかったそうだ。彼女の母親はサンバの「裸みたいな格好」をみっともないと言い、彼女自身もサンバは「そんなに好きじゃない」と話している。
では、なぜ大泉町のサンバが盛り上がったのかと言えば、それは地域の住民たちと築き上げたものだからだろう。サンバなど見たことのない日本人と、サンバを踊ったことのない日系ブラジル人とが、協力して実現させたのが大泉町のサンバなのだ。
ブラジル人が踊る本場のサンバということで、地元の夏祭りでパレードをしたところ評判となり、やがては祭りのメインイベントになった。実際には「なんちゃってサンバ」(著者の表現)だったわけだが、日系人たちにとって気分転換になったことも事実らしく、また、地元住民との交流の場ともなった。
その後、トラブルもあってパレードは中止されたものの、2007年からは「大泉カルナバル」というショーとして復活。再び町に多くの観光客を呼び寄せている。
【参考記事】日系ブラジル人はサンバを踊れない?
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