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私事ですが、日中関係に翻弄されながら10周年を迎えました
Newsweek Japan
<私が経営するレストラン「湖南菜館」がオープン10周年を迎えた。思い返せば、ただの中華レストランでなく、日中関係や中国の変化を映し出す鏡だった>
こんにちは、新宿案内人の李小牧です。私事ながらご報告させていただきたい。この夏、私が経営するレストラン「湖南菜館」がオープン10周年を迎えた。
老舗というにはまだほど遠いが、新宿の歌舞伎町一番街という激戦区で店を続けるのは容易なことではない。皆さんのご支援もあって、この街で看板を出し続けられていることに誇りを感じている。
この10年、いろいろなことがあった。店で繰り広げられた数々の人間ドラマはさておいても(笑)、この自分の"城"では日中のメディアから多くの取材を受けた。東日本大震災の日には、家に帰れず行き場を失った多くの人を招き入れ、朝まで過ごしてもらった(もちろん、自慢の湖南料理を食べてもらいながらだ)。
著書の出版記念パーティーを開いた時は、故・竹田圭吾ニューズウィーク日本版編集長(当時)にも出席してもらった。新宿区議選に出馬した際は、支持者やメディア関係者とここで開票速報を見守った。
先日、ニューズウィーク編集者のMくんとそんな思い出話をあれこれとしていたのだが、彼の言葉にはっとさせられた。「湖南菜館の10年って単なる個人的な経験じゃないですよね。日中関係や中国の変化を映し出す鏡なのではないでしょうか」というのだ。言われてみればそのとおりだ。
そこで、簡単ながら歌舞伎町一番街から見た、リアルな街場の日中関係論を開陳したい。
日中雪解けムードの時代、開店をサポートしてくれた大富豪
1988年に来日し、歌舞伎町案内人、すなわち歌舞伎町にやって来る外国人向けのガイドとして街に立ち続けていた私だが、ある1つの願いを持つようになっていた。それは自分の店が欲しいという思いだ。
著書『歌舞伎町案内人』(角川書店、2002年)がベストセラーになったこともあり、私は次第に日本国外でも知られるようになっていた。ならば街に立つのではなく、自分の店で旅行客が訪ねてくるのを待ったほうがいい。また故郷・湖南省の味を日本人にも知ってほしいという思いもあった。何より来日以来、約20年にわたり歌舞伎町の住人であっただけに、そろそろ自分の居場所が欲しいという気持ちが強かった。
ある新聞の取材でこの思いを吐露したところ、思わぬ反響があった。とある大富豪からレストラン開店をサポートしたいという申し出があったのだ。「あなたのような方に日中の架け橋になってもらいたい」という言葉に胸が熱くなった。
当時は第一次安倍政権の時代だ。約5年にわたり続いた小泉政権下での日中対立の時代がようやく終わり、日中の首脳が相互に訪問し合う雪解けムードに包まれていた。民間にもこの千載一遇の機会を生かして日中友好を推進したいと考える人は少なくなかった。かの大富豪もただ私を認めてくれたのではなく、日中友好の手助けをしたいという思いがあったように思う。
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