失言王「森喜朗」から変質した自民党20年史
森内閣にとどめを刺したのは、2001年2月に入るや、ハワイ沖で航海中だった米原潜グリーンビルと、愛媛県立宇和島水産高等学校所属の訓練船「えひめ丸」が衝突事故を起こした悲劇的事故への対応問題であった。森首相はその報告を聞きながらも平然とゴルフを続けた、という危機管理や被害者への配慮の無さが盛んにマスメディアを賑わせ、世論は「森叩き」一色になった。この時、世論調査で森内閣の支持率は「一桁」になったとされる。
このような森氏自身が招いた自己中心的な失言や失政に対し、自民党内から倒閣運動が起きた。世にいう「加藤の乱」である。宏池会のプリンスとして注目され、首相候補の呼び声が高かった加藤紘一氏が、公然と森内閣の倒閣運動を起こした。
野党が提出した内閣不信任案に、加藤一派が乗れば、不信任案は可決される。すると森総理は解散総選挙か内閣総辞職の二択を迫られる。加藤氏には勝利の目算があった。この当時、まだ前述した「えひめ丸」事件以前であったが、森内閣の不人気は自明で、倒閣はすわ現実的に思えた。が、当時の自民党幹事長・野中広務氏は加藤一派への強権的懐柔を試みた。結果その工作は成功し、「加藤の乱」は不発となり、森内閣は延命することになる。
宏池会系は言うもがな、池田勇人首相を始祖とする自民党の伝統的正統派閥(保守本流)であり、多くの首相を輩出してきた。しかし自民党内からの「内部反乱」を鎮圧した執行部は自信を深め、結局、加藤紘一氏の所属する宏池会系は「加藤の乱」失敗を契機に分裂する。加藤についていくもの、加藤に反目するもの、加藤の行為を傍観する三者に分かれた。皮肉なことにこの時の「加藤の乱」に於いて、内閣不信任案採決に「欠席」という抵抗態度を採った一人が、現首相菅義偉氏であることはあまり知られていない。
付け加えるならば、麻生太郎内閣の後に自民党が野党に下野した際、「加藤の乱」において加藤氏に追従した側近のひとりが谷垣禎一氏であり、自民党が野党時代の総裁となる。が、結局谷垣総裁時代に自民党が民主党から政権を奪取することは出来なかった。「加藤の乱」の失敗で、事実上自民党内における宏池会系の影響力は衰退し、ひいては分裂することになり、清和会の天下はますます継続されることになった。
森喜朗氏と小泉旋風
とはいえ、森内閣の不人気は「加藤の乱」後も依然続き、2001年4月にいよいよ総辞職と相成った。そこで自民党総裁選挙が行われる運びとなったが、ここで二人の有力候補が出た。森氏と同じ清和会に所属する小泉純一郎氏と、経世会系所属で元総理を経験した橋本龍太郎氏である。
この時、自民党議員の多くは、経世会系所属で伝統的な保守本流の位置づけである橋本龍太郎氏の再登板を期待して、「橋本再登板」の観測が有力視され、また期待されたが、自民党員にしか投票権が無いものの、まるで国政選挙における一般有権者の審判を仰ぐように小泉氏は総裁選挙の期間中、連日乗降客の多い駅前の街頭に立ってメディアに露出した。投票資格のない非自民党員まで街頭に立錐の余地なく満員になるほどの盛況ぶりであった。
所謂「小泉旋風」である。結果、議員票より前に開票される党員票が圧倒的に小泉氏支持となり、それに流される形で投票時には議員票も揺れ動き、票が瞬く間に小泉氏に流れた。
森内閣が余りにも失言を連発し、不人気であることから危機感を覚えた自民党員が、「自民党の改革」「自民党をぶっ壊す」として内部改革を訴えた小泉氏に群がったのである。結果、誕生した小泉内閣は以後約5年半に亘る長期政権を実現した。福田赳夫以来、非主流として冷や飯を喰らい続けた自民党清和会の天下の幕開けであった。
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