コラム

777年前に招待状を出したモンゴルを、ローマ教皇が訪問する本当の狙い

2023年08月26日(土)20時04分

8月31日からモンゴルを訪問する教皇フランシスコ(8月25日、バチカン)Remo CasilliーREUTERS

<ローマ教皇フランシスコが8月31日からモンゴルを訪問する。777年前に時のハーンが教皇あてに出した招待状に応えた......のではないが、現在の教皇があえてカトリック教徒1500人のモンゴルを訪れるのには理由がある>

「777年前に招待状を出したのに、ようやく来てくれることになったか」

モンゴル国で今、流行っているジョークだ。ローマ教皇フランシスコが8月31日から9月4日まで、一国の訪問としては異例と言ってもいい長さでモンゴル国を訪れる。これは、法皇を待つ現在の同国国民の心情を現わした言葉だ。

モンゴル帝国期からの交流

モンゴルとローマ教皇を頂点とするキリスト教世界との付き合いは長い。1245年、教皇インノケンティウス四世はリヨンに公会議を招集し、東方から出現した「タルタル」ことモンゴル軍の脅威を前に、西洋側の対応について話し合った。キリスト教世界は当初、はるか東に存在するキリスト教国の国王「プレスター・ジョン」が強力な軍隊を派遣し、イスラーム教徒を攻撃している、との噂に接していた。脅威と見なすイスラーム教徒を攻めている以上は、友軍のはずだと信じていた。ところが、東欧世界が相次いでモンゴルによって陥落し、キエフとルーシ(ロシア)もその軍門に下ったと知るや、もはや脅威は現実と化した、と認識を改めた。

教皇の使節団は次から次へとモンゴル高原を目指した。その一人、プラノ・カルピニ修道士(1182-1252)は1245年暮れに出発し、翌年早春にキエフを経由して東方へ走った。7月22日にモンゴル高原中央部のハラ・ホリムに到着し、時の大ハーン、グユクの即位の礼を見る幸運に恵まれた。グユクはチンギス・ハーンの孫にあたる。ハラ・ホリムは当時、名実共に世界の中心で、メトロポリスの様相を呈し、繁栄の頂点にあった。キリスト教世界への進攻を中止し、罪を犯さないようとの趣旨の教皇の書簡をカルピニはグユク・ハーンに渡した。

ハラ・ホリムにはネストリウス派の信者が多く、教会も建ち、アルメニア製のオルガンが演奏され、パリ出身の職人が宮廷で活躍していた事実にカルピニら一行は驚かされる。彼らはネストリウス派信者たちをカトリックに改宗させたい気持ちはあるものの、口にする勇気はなかった。

すっかり寒くなった11月11日、ネストリウス教徒である大ハーンの重臣の一人がカルピニに返書を渡す。それはモンゴル語で書かれたもので、大臣自らが更にペルシャ語に翻訳し、カルピニはラテン語で筆記した。この三種の言語が時のユーラシア大陸の外交言語だったからである。大ハーンの返書は以下のように書かれていた。

「とこしえの天の力によりて、大いなる遍く民のハーンの勅令。教皇殿が知る為に、理解せん為に、贈られる書簡なり。......教皇たる汝は、自ら朕の下へ挨拶に来るべし。朕はその時に、われわれの法令を聞かせよう」

カルピニは直ちに帝都ハラ・ホリムを出発し、一路、西へと急いだ。1247年6月にキエフに到着し、秋にリヨンに帰還した。グユク・ハーンの返書を手にした教皇の心情は伝えられていないが、書簡は長らく秘匿された。不名誉を隠したかったのだろう。

プロフィール

楊海英

(Yang Hai-ying)静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。編著に『フロンティアと国際社会の中国文化大革命』など <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

OPECプラス、5月も予定通り増産する公算大きい=

ワールド

ウクライナ巡る協議は順調、近く前向きな発表=米政権

ビジネス

現代自グループ、米国に210億ドル投資 新たな製鉄

ワールド

イスタンブール市長逮捕で6日連続抗議デモ、大統領は
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放すオーナーが過去最高ペースで増加中
  • 4
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    コレステロールが老化を遅らせていた...スーパーエイ…
  • 7
    ロシア軍用工場、HIMARS爆撃で全焼...クラスター弾が…
  • 8
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 9
    トランプの脅しに屈した「香港大富豪」に中国が激怒.…
  • 10
    止まらぬ牛肉高騰、全米で記録的水準に接近中...今後…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャース・ロバーツ監督が大絶賛、西麻布の焼肉店はどんな店?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 8
    【クイズ】世界で2番目に「レアアース」の生産量が多…
  • 9
    古代ギリシャの沈没船から発見された世界最古の「コ…
  • 10
    「気づいたら仰向けに倒れてた...」これが音響兵器「…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story