最新ポートランド• オレゴン通信──現地が語るSDGsと多様性
【日系メディア初!】オレゴン州・在メキシコ総領事インタビュー『多様な人生の分岐点~在米移民の真実』
『メキシコ』、そう聞いて、あなたはなにを想像しますか。
カラフルな色彩、独特の帽子とポンチョ、タコス・・・。
それとも、画面で映し出される非合法移民の命がけの国境越えの姿。
長年米国に住む著者にも、中南米の友人は多くいます。とはいうものの、メキシコや米国の移民事情に関する理解はまだまだ不十分です。
そこで、2024年初記事は、【特別企画『2024年ポートランドの町・人。成長をけん引する、取り組み・もの・コトとは?』】の第1弾。
日系メディア初となる、『オレゴン州在メキシコ総領事(元ベリーズ国大使)』への特別インタビューを敢行!
インタビューから浮かび上がったのは、多様性、謙虚さ、異文化からの学び、外国人労働者との協力、天災に対する知恵など。日本にとっても、有益なアイデアが数多く含まれていることがわかります。
また、若き日の総領事が、日本から多大な影響を受けたという事にも驚きました。貧乏海外旅行からの学び。バックパッカーとしての体験から感じた日本の美徳。それらの経験から得た人生のキーワードとは。
さらに、一般にはあまり知られていない移民状況と地域経済の関連性。加えて、現代において求められるコミュニティー文化の重要なポイントにも触れて頂きました。
総領事のチャーミングな微笑みと共に、常に謙虚な態度で著者と公私にわたり交流してくださります。
初春の訪れに合わせて、オレゴンの社会に花開くリアルなレポートをお届けします。
|バックパッカー旅行の決断~異文化への冒険と成長
在オレゴン州メキシコ総領事のメレンデス氏は、メキシコ外務省に勤務する外交官。スイス、イギリス、アメリカの大使館で経験を積んだ後、駐ベリーズ国大使として任命されました。
その後、2020年に在ポートランドメキシコ総領事に就任。
そのキャリア、そしてメキシコでの幼少期や経験から、お話は始まります。
「メキシコ湾に面した小さな都市で生まれ育ちました。両親と祖母からは、思いやりや責任感、社会での重要な価値観や道徳観を愛情深く教えられ、そうした価値観を胸に成長してきました。
私が4歳の時、家族にとってより良い雇用や教育機会を求めて、両親が首都のメキシコシティに引っ越す決断を下したのです。その決断が功を奏し、首都での生活はその後の私の人生と人生観に大きな影響を与えていきます。
大都市での生活の一大利点は、教育の充実です。その機会の広がりと共に、国際的な関心も徐々に芽生えていきました。
そんな中、成績優秀な子供に与えられる機会の一つとして、14歳の時にフィンランドを拠点とする国際クラブからの招待を受けます。そこで初めて見知らぬペンパルとの文通が始まり、外国から届くエアメールの文面から未知の世界との交流が始まったのです。
これが私にとってのグローバル社会への開眼でした。」
そんな経験と共に、有名な法学部を持つメキシコシティ国立大学に進学した総領事。そこで出会ったヒロシという温和な日本人との出会いが、その後の人生に大きな広がりをもたらしたと話します。
「彼との交流を通して、異文化を尊重し理解することの重要さを初めて痛感しました。その経験から、自分のまだ知らぬ広い世界を見たい、グローバルな視野を持ちたいという強い意欲が湧き上がったのを覚えています。
そこで、自分でも驚くような一大決心をしたのです。
それは、夏休みにバイトをして貯金をして、バックパックを背負って一人でヨーロッパへ旅行するという計画でした。
当時、メキシコの中流家庭の子供が外国旅行に行くのは稀。それもバックパック旅行なんて!と両親は猛反対。でも、航空券を買っちゃった!リファンドはできないんだ!これは自分の人生における大事な決断なんだ!と必死に説き伏せました。
そのかいあって、計画通り2ヶ月の旅に出発。
予想通り、いや想像をはるかに超えて私の人生感を変えた旅になりました。まさに世界中から来ている人々との出会い。失敗からの学び、感動。
この経験から、さまざまな外国語を勉強し海外で教育を受けたい。この願望が固まったのが、この時です。」
|日本との出会いが、外交官への道に?
再び法科に戻り、夢に向かって猛勉強しました。家庭の負担を減らすため、スイス政府から奨学金を得ての留学。チューリッヒ大学院ではドイツ語で、憲法と国際法を学び。さらにジュネーブ大学院では、フランス語と英語で国際法の修士号を取得。
寝ずに勉強する4年間だった。そう、苦笑いしながら話を続けます。
「スイスでの生活と学びは、私の人格形成に多大な影響を与えました。将来の個人的・職業的な人生に対するビジョンを形成する基盤を築いてくれたのです。
さらに、生涯学習という言葉の通り、一生かけても学び尽くすことはない。つまり、まだまだ学ぶべきことがあるという謙虚さを身につけたのもこの時期です。」
ここで、大きな笑顔で一言!
「その頃、バックパッカーの血がまた騒ぎ出したんですよ~。」
別の異文化を体験したい。そう思い、今度はアジア2カ月の旅を決行します。
「バブル期の日本を訪れた貧乏旅行の外国人。その国で私の心を魅了したのは、最も親切で、最も美しく、最も感動的な出会いの数々でした。
英和辞書と地図を片手に辿り着いた町。稚内から鹿児島まで、小さなまちの人々がかけてくれた暖かさと気遣い。ふとしたきっかけで知り合った多くの人が、見ず知らずの外国人の私に優しく『友情』を生み出してくれた。この体験は、私の人生の宝ものです。」
この貴重で多様な経験と共に、メキシコ国外務省への入省を経て、スイス在メキシコ大使館に着任したメレンデス総領事。
彼の多様性への尊重の原則は、日本とスイスでの経験や文化への理解、そして効果的なコミュニケーションスキルから生まれたと言います。
この様な、素晴らしい外国体験をした総領事。
では、それと対比するかのように、『違う意味で』外国体験をするメキシコ人には、一体どのような背景があるのでしょうか。
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著者プロフィール
- 山本彌生
企画プロジェクト&視察コーディネーション会社PDX COORDINATOR代表。東京都出身。米国留学後、外資系証券会社等を経てNYと東京にNPOを設立。2002年に当社起業。メディア・ビジネス・行政・学術・通訳の5分野を循環させる「独自のビジネスモデル」を構築。ビジネスを超えた "持続可能な" 関係作りに重きを置いている。日系メディア上のポートランド撮影は当社制作が多く、また業務提携先は多岐にわたる。
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Instagram:PDX_Coordinator
協働著作『プレイス・ブランディング』(有斐閣)