
イタリア事情斜め読み
保守派が分裂、次期教皇候補はいないコンクラーベの行方

フランシスコ教皇(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、2025年4月21日(月)午前7時35分(ローマ時間)、ローマのバチカン市国内のカーサ・サンタ・マルタで死去した。享年88歳であった。
バチカンの発表によれば、死因は「脳卒中による昏睡状態からの心不全」とされている。また、慢性呼吸器疾患、肺炎、高血圧、2型糖尿病などの既往症も影響したとされる 。
教皇は2025年2月14日に肺炎のためローマのジェメッリ病院に入院し、約5週間の治療を受けた。その後、回復しバチカンに戻ったが、健康状態は依然として不安定であった。最期の瞬間、看護師に感謝の言葉を述べ、苦しむことなく静かに息を引き取ったと報じられている 。
教皇の遺体は4月23日にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に安置され、4月26日の葬儀まで一般の人々が弔問できるようになっている。葬儀は4月26日午前10時(ローマ時間)にサン・ピエトロ広場で行われる予定で、ドナルド・トランプ米大統領やウィリアム王子など、世界の指導者が参列する見込みである 。
教皇の遺志により、埋葬地はサン・ピエトロ大聖堂ではなく、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂となる。これは1世紀ぶりの異例の選択であり、教皇の謙虚さと信仰の深さを象徴している。
フランシスコ教皇は、アルゼンチン出身で初のラテンアメリカ出身の教皇として、2013年に教皇に選出された。「貧しい人々の教会」「慈しみの教会」を掲げ、世界中に希望と変革のメッセージを発信してきた。その功績は、資本主義批判や気候変動への警鐘、LGBTQ+への包容的姿勢など、多岐にわたる。その一方で、保守派からは激しい反発を受けていた。
教皇の死去に際し、アルゼンチン、フィリピン、ローマなど世界各地でカトリック教会の鐘が一斉に鳴り響いた。バチカンのドムス・サンタ・マルタの礼拝堂では、教皇と親しかったケビン・ファレル枢機卿が「今朝7時35分、ローマの司教であるフランシスコは、父なる神の御許へと旅立たれた。彼の生涯は、すべて主と教会への奉仕に捧げられた」と追悼の言葉を述べた 。
教皇の死去は、世界中のカトリック信者にとって大きな衝撃であり、深い悲しみをもたらした。その遺志と教えは、今後も多くの人々に影響を与え続けるであろう。
| フランシスコ教皇の功績
フランシスコ教皇は、2013年にローマ教皇に就任した初のラテンアメリカ出身、そしてイエズス会出身の教皇である。就任以来、彼は「貧しい人々のための教会」という理念を掲げ、社会的弱者への寄り添い、環境問題、教会の透明性と改革を中心に取り組んできた。
代表的な功績の一つは、回勅『ラウダート・シ(Laudato Si')』(2015年)を通じて地球環境の保護を訴えたことにある。環境問題を信仰の課題と位置づけたことで、宗教界を越えて広く注目を集めた。また、貧困、移民、死刑廃止、難民支援、LGBTQ+への共感など、タブー視されがちなテーマにも積極的に言及し、現代的な倫理と連帯の価値を説いた。
一方で、教会の内側では聖職者による性的虐待問題に対し、被害者との面会や処分強化といった具体策を進めた。バチカンの金融改革にも取り組み、不透明な資金運用の是正や内部監査の強化などに努めた。
彼の姿勢はしばしば「政治的」と評されるが、本人は一貫して福音の本質に基づいた「出向く教会」を目指してきた。保守的な勢力との緊張もあったが、それでも対話と包摂の姿勢を貫き、教皇像を刷新した。
フランシスコ教皇は、形式や権威にとらわれず、人間性と慈愛を重視したリーダーであり、カトリック教会を内外から開かれた存在へと導いた功績は極めて大きい。
史上初、ローマ教皇がG7サミットに公式に参加した。
2024年6月、イタリア南部のボルゴ・エニャーツィアで開催されたG7サミットにおいて、ローマ教皇フランシスコが初めて出席し、人工知能(AI)の倫理に関する特別セッションで演説を行った。これは、教皇がG7サミットに公式に参加した初めての事例であり、イタリアのジョルジャ・メローニ首相の招待によるものであった。
フランシスコ教皇出席の意義と目的は、AI技術の急速な発展に対し、人間中心の倫理的枠組みを構築する必要性を強調するものであった。
教皇は、AIが人間関係を単なるアルゴリズムに変えてしまうリスクを警告し、「人間の尊厳を守るためには、AIの開発と使用において人間の判断を最優先すべきだ」と述べた 。また、AIによる自律兵器の使用についても懸念を示し、「人間の命を奪う判断を機械に委ねるべきではない」と強調した 。
メローニ首相は、教皇の出席を通じて、イタリアがAI倫理の議論において中心的な役割を果たすことを目指した。首相は、AI技術がもたらす機会とリスクを踏まえ、国際社会が協力して倫理的なガバナンスを構築する必要性を訴えた 。教皇の発言は、G7首脳によるAIに関する最終声明にも反映され、人間中心のデジタル変革の推進が確認された 。
| 教会の再建が求められる中、保守派は内部で意見が割れている
フランチェスコ教皇が去り、サンタ・マルタの館は空になった。教皇の住んでいた部屋は、もうすぐコンクラーベに参加する枢機卿たちの宿泊施設として使われることになる。しかし、教皇が去ったことは単にその部屋の封鎖を意味するだけでなく、一つの時代の終わりを告げている。
これで、クーリア(教皇庁)の力が戻るかというと、そうではない。フランチェスコ教皇の改革に反対する保守派は、今後どうすべきかを迷っている。彼らは、教皇が去った今、代わりの強い候補を見つけられず、内部で意見が割れている。
アメリカのカトリック司教団は経済的影響力を背景に活動を続けており、保守派の中で一定の影響を持っている。しかし、これらの力がコンクラーベでどれほど重要になるかは分からない。最も確実なのは、次の教皇がサンタ・マルタの館に住むことはないだろうという点だ。
次期教皇には「復古」ではなく、「正常化」を目指す必要があると考えられている。多くのバチカン関係者は、教会の統治を再構築し、ローマと主要な教区に集中させることが求められていると感じている。
フランチェスコ教皇の時代には、国務省の権限が大きく縮小され、経済や外交の権限が他の部門に移されることとなった。この変化が保守派の反発を招き、問題を複雑にしている。
最も重要なのは、今後の教会の統治がどうなっていくかという点だ。次のコンクラーベでは、どのような方向性が選ばれるのか、まだ分からないが、教皇の後継者は改革を進めることが求められるだろう。
| コンクラーベとその勢力図:新教皇を選ぶのは誰か
バチカンの定めるコンクラーヴェの規定では、投票権を持つ枢機卿の上限は120人とされている。しかし、現在80歳未満の枢機卿は135人存在する。これは、法的にも運営上も問題をはらんでいる事態である。
ただし、うち2人は病気により参加できないことが判明しており、さらに論争の渦中にあるアンジェロ・ベッチュ枢機卿の扱いも未定である。結果として、実際の投票人数は133人になる見込みである。
憲法学者のステファノ・チェッカンティ氏は、「法規は文脈と整合的に解釈すべきであり、条文の一部を都合よく読むべきではない」と述べた。彼によれば、「余分な枢機卿」なるものは存在せず、『Universi Dominici Gregis』(ヨハネ・パウロ2世により1996年制定)に基づき、すべての有資格者は選挙への参加義務を負っているとされる。
フランシスコ教皇の後任を決める133人の枢機卿たち、その構成と焦点となる議題とは
フランシスコ教皇の後任を選ぶ次のコンクラーベに向けて、世界中の枢機卿の名前が挙がっている。イタリアからは3人、その他の地域からも強力な候補者たちが登場している。彼らは戦争、飢餓、移民の差別といった課題に直面し、またより保守的な立場からのアプローチを求められている。
コンクラーベにおいては、どれほど緻密な分析や予想も、結局のところ役に立たないことが多い。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を借りれば、梯子を登りきった者はそれを投げ捨てるようなものだ。
選出の鍵は「人物」であり、「構図」ではない。
2013年のコンクラーベでも、保守派が優勢とされた中で、道端の神父のようなホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(後のフランシスコ教皇)が選ばれた事実がそれを証明している。
枢機卿の構成と分布は、現在、次期教皇を選ぶ選挙権を持つ枢機卿は135人。
そのうち108人はフランシスコ教皇が任命した者たちである。だが彼らは一枚岩ではない。出身国は71カ国に及び、ヨーロッパ中心主義が薄れた「地球規模の教会」の姿が反映されている。
地域別では、ヨーロッパ出身が53人と最多だが、アジア23人、ラテンアメリカ21人、アフリカ18人、北アメリカ16人、オセアニア4人と、南の世界と周縁からの声がかつてなく重要となる構図だ。
最多出身国はイタリアで17人。ただしエルサレムのラテン典礼総大司教ピエルバッティスタ・ピッツァバッラ枢機卿とモンゴル使徒座管理者のジョルジョ・マレンゴ枢機卿を含めると19人になる。
焦点となるテーマ、今回のコンクラーベで最も重要な議題は「教会の一致」であると多くの枢機卿が語っている。フランシスコ教皇は多くの改革を進めたが、それに対する反発も少なくなかった。次の教皇には、対立した意見や緊張を和らげ、信徒に安定感を与える人物が求められる。
| 有力候補(パパービリ)たち
○イタリア
ピエトロ・パロリン枢機卿(70歳):国務長官として、教皇庁外交を担い、中国との歴史的合意を取りまとめた実績がある。
マッテオ・ズッピ枢機卿(69歳):平和使節としてウクライナにも派遣された。サン・エジディオ共同体出身。
ピエルバッティスタ・ピッツァバッラ枢機卿(59歳):エルサレム総大司教。中東の和平においてバランス役を果たしてきた。
○ヨーロッパその他
ペーテル・エルドー枢機卿(73歳、ハンガリー):保守派の代表格であり、カノン法と神学の権威。
アンダース・アルボレリウス枢機卿(75歳、スウェーデン):ルーテル派からカトリックに改宗。北欧初の枢機卿。
ジャン=マルク・アヴリーヌ枢機卿(66歳、フランス):マルセイユ大司教。神学と哲学に通じ、進歩的な視点を持つ。
○アフリカ
フリドリン・アンボンゴ・ベスンガ枢機卿(65歳、コンゴ):教会の伝統的立場を堅持しつつ、戦乱の中で信仰を守り続ける。
○アメリカ
ブレーズ・カピッチ枢機卿(75歳、シカゴ):トランプ政権下の移民政策に強く反対。
ジョセフ・ウィリアム・トービン枢機卿(72歳、ニューアーク):社会的弱者の擁護に取り組み続けてきた。
○アジア
ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(67歳、フィリピン):中国との橋渡し役を担い、アジアの未来を担う存在。
ラザロ・ユ・フンシク枢機卿(73歳、韓国):南北朝鮮の対話を模索し続けた平和の使徒。教皇庁聖職者省の長。
次期教皇が誰になるかは誰にも分からない。
しかし、世界中から集まる135人の枢機卿たちは、今後のカトリック教会の方向性を決定づける選択を迫られている。彼らの眼差しは、もはやヨーロッパだけでなく、全世界の信徒に向けられている。
| 各国の指導者が追悼の意を表し、葬儀の準備が進む
教皇フランシスコの死後、世界中で追悼の意が表明された。国際的な指導者たちは、ローマで行われる教皇の葬儀に出席するために集まり、各国の政府は数日間の喪に服すことを決定した。イタリア政府は、葬儀に向けた準備として、非常時の管理を強化し、公共の秩序と交通の調整を行っている。
国際的には、UNの事務総長アントニオ・グテーレスが葬儀に出席することが発表され、スペインの副首相マリア・ヘスス・モンテロは代わりに参加することが決まった。フランスでは、国旗が葬儀当日である4月26日に半旗を掲げることが決定された。また、ミラノのドゥオーモでは多くの信者が集まり、フランシスコ教皇のための追悼ミサが行われた。
ローマのサンタ・マルタ邸では、ユダヤ教コミュニティの指導者が教皇に最後の敬意を表すために訪れた。英国のウィリアム王子は、チャールズ国王に代わり葬儀に出席する予定であり、ドイツ、フランス、アメリカの指導者たちも出席を表明した。
また、イタリア国内では、教皇の死を受けて、全土で5日間の国葬が宣言され、公共の場所では厳粛な行動が呼びかけられている。
| 国喪の中、「慎み」呼びかけが揺さぶるイタリア解放記念日
4月25日の「イタリア解放記念日」が、今年は異例の空気に包まれている。教皇フランチェスコの死去による国を挙げた追悼の最中であることに加え、「慎みある開催」を求める政府の発言が、政治的な対立を招いている。
内務大臣ネッロ・ムスメーチは、「記念式典は行ってよいが、慎みを持ってほしい」と呼びかけた。亡き教皇への敬意を示したつもりだったが、この言葉が一気に政治の火種となった。
労働組合CGILのマウリツィオ・ランディーニ氏は、「解放記念日は民主主義の出発点であり、慎しめというのは侮辱だ」と強く批判した。
これに対し、マウリツィオ・ガスパッリ氏(フォルツァ・イタリア党)は反論した。「教皇はすべての人のための存在であった。だが、今になって彼の名を利用する者がいる。一部の人々は平和の教えや命の尊さを無視し、都合のよい部分だけを取り上げている」と語った。さらに「慎み深い式典こそ、教皇の意志にかなう」と主張した。
マッテオ・レンツィ氏(イタリア・ヴィーヴァ党)は、「あの発言をするとは、正気の沙汰ではない」と痛烈に批判した。「解放記念日は常に慎みを持って祝ってきた。誰も酒盛りなどしていない。政府は無用な挑発をやめるべきだ」と訴えた。
カルロ・カレンダ氏(アツィオーネ党)は、「ムスメーチは歴史を知らなすぎる。25日は戦争からの解放、民主主義の原点である。慎みと言う前に、この日が何を意味するのか学ぶべきだ」と述べた。
各地自治体の判断も割れている。チェゼーナ市はコンサートを中止を決定し、左派政党は反発した。ピアノーロ市では料理イベント「マッケローニ・レジステンティ」を中止にする。ベルガモ県ロマーノ市では、「ベッラ・チャオ」などの歌の演奏が全面禁止する。一方で、ローマ市のグアルティエーリ市長や、ミラノ市のジュゼッペ・サーラ市長は「慎み」という曖昧な表現には従わず、予定通り式典を実施する意向を示した。
解放記念日の中心的存在であるANPI(イタリア・パルチザン協会)は、「この大切な日が政治的な衝突で汚されないよう願う」と声明を出した。
たびたび攻撃を受けてきたユダヤ旅団も、「落ち着いた25日になることを期待する」と語った。市民の多くも冷静な対応を求めている。
イタリアの著名なジャーナリストであるフェルッチョ・デ・ボルトリ氏は『コリエーレ・デッラ・セラ』紙にこう記した。「この記念日を静かに祝うことは、誰への侮辱にもならない。むしろ、それを騒動として扱うことこそ、教皇にも国民にも失礼である」と述べた。
政治的思惑と追悼の空気が交錯する中で、今年の4月25日、イタリア解放記念日はこれまで以上に「どう祝うか」が問われている。

- ヴィズマーラ恵子
イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie