イタリア事情斜め読み
20世紀ヨーロッパ史上最大の大虐殺ホロドモールをジェノサイド認定
ついに、欧州連合(EU)欧州議会は2022年12月15日、90年前に旧ソ連領だったウクライナで起きた大飢饉ききん「ホロドモール」が、人為的に引き起こされたジェノサイド(民族大量虐殺)だったと認定する決議案を賛成507票、反対12票、棄権17票で採択した。
すでに 2008年10月に、欧州議会はホロドモールを人道に対する犯罪と認める決議を採択していたが、ドイツ、フランス、イタリア、およびアメリカ合衆国を除くほとんどの西側諸国の政府は、この承認を個別に公式化していない。
欧州連合は決議でホロドモールを「ウクライナ国民と人道に対する恐ろしい犯罪」と認めたのだ。
これは、歴史的重要性に加えて、20世紀最大の犯罪の1つの苦しみに基づいて設立されたウクライナの国家とウクライナの人々のアイデンティティを認識することでもある。
プーチンの「ウクライナが国家であることを否定し、ウクライナ人がウクライナの国民であることを否定している。それらの土地には根絶されなければならないナチスしかいない、ロシア人と同化されなければならない」という言説により、ロシアの侵略軍は、民間人を標的として爆撃し、集団墓地を掘り、ウクライナの穀物を徴発し、再びウクライナ国民のアイデンティティを脅かしている。
ヨーロッパがウクライナに対するロシアの脅威を長い間過小評価してきたとすれば、それはおそらく、歴史に関する知識と認識の欠如によるものである。
今日、ホロドモールをジェノサイドと認めるのは、ウクライナだけでなく、ヨーロッパをはじめとする世界全体に関係するメッセージであると捉えるべきではないだろうか。
【ホロドモール】とは
1932年から1933年にかけてソビエト政権が意図的に組織した「大飢饉」に付けられた名前が、「ホロドモール」で、ウクライナ語でmoryty holodom holod (飢餓、飢饉) と moryty (殺す、飢える、枯渇させる) に由来し、それらを組み合わせたホロドモール( Holodomor )は"飢餓による絶滅"という意味である。
ウクライナ人600万人以上の人々に対して行った飢餓によるジェノサイドで、350万から500万人が死亡したと推定されている。
警察、兵士、共産主義組織の若いボランティアらは暴力的に地方の農民を強制的に集団化し、大規模な工業都市を養うために田舎で生産されたすべての食料品の差し押さえ、種まき用のものを含め、利用可能なすべての穀物を襲撃した。
農業資源を押収していき、あらゆる財源を没収し、食品の販売と供給、取引を禁止し、飢えた人々が食糧を求めてソ連や他の地域に移動するのを防ぐための国内と国境に部隊を配備した。
これら抑圧的措置の実施により、ウクライナ人たちは、巨大なゲットーに投獄されていることに気づいていたが、食料は絶え飢えていった。生き残ることは不可能であったという。
街の通りには餓死した人の遺体が大量に横たわっているが、遺体を埋葬する人などいないし、その力も残っていない、皆が死にかけていたからであるという。
【スターリンの計画】とは
1920年代後半、スターリンは、完全に規制された経済と社会を確立することを目的として、ソビエト国家の経済的および社会的構造の根本的な変革プロセスを開始することを決定した。
政府の計画によれば、ウクライナの農業への使命は、黒海の他の南部領土とともに、農業によって生み出された富は計画経済の新しいエンジンである産業に完全に再投資されるというもので、1927年以降、スターリンは土地を農業協同組合 (Kolchoz) または国営企業 (Sovchoz) に統合するよう手配した。これらの企業は、国が設定した価格で製品を提供する義務を負う。
個人所有の農場の長い伝統を持つウクライナでの国家の行動は、劇的で悲劇的な結果をもたらした。
1932年8月7日、ソ連では集団財産が「神聖かつ不可侵」であると宣言し、子供を含む誰もが「社会主義者の財産」に対して窃盗を行ったとして、 飢えで死にかけている自分の息子のためにトウモロコシの穂を密かに摘み取った者に対し、罰則として強制収容所での10年間の強制労働または死刑の判決が下された。
農村人口の4分の1の男性、女性、子供が飢餓によって一掃された。
収穫の接収と移動の制限という厳しい政策によって年末に意図的に悪化させられ、1933年1月から6月までのわずか6か月で400万人が死亡した。
飢饉の目的は、農民の絶滅とともに、ウクライナの文化的、宗教的、知的エリートの根絶を目論むもので、すべてのカテゴリーはソビエト政権にとっては「社会主義の敵」と見なされたからである。すべてを奪っていったソビエト当局は、飢饉が進行中であることを否定し、体制が崩壊するまでその責任を認めることを常に拒否した。
飢饉がスターリンの全体主義政権下で行われた政策で、ウクライナ国民の絶滅を意図的に狙った行為かつ予見可能な結果であったことを否定する歴史研究家はいないが、しかし、多くの人はそれが真の「ジェノサイド」であったかどうか、つまり、「ホロドモールはジェノサイドである」と、定義することはできないと主張していた。ソビエト連邦の終焉は、この問題を歴史家の手から急速に奪った。
ソビエト当局がウクライナ人を標的にする意識的な意図を持っていたかどうかについては、いまだに議論されている。
ホロドモールが、ジェノサイドか否か、このテーゼは戦後広く普及し、「ジェノサイド」という法律用語の発明者であるラファエル・レミキン氏は、ホロドモールをジェノサイドの「教科書的事件」と定義した。
しかし、旧ソビエトのアーカイブが公開されたことで、この論文はさらに物議を醸すようになった。
独立したウクライナでは、ホロドモールの記憶が、新国家のアイデンティティをめぐるナショナリストと親ロシア派の間の闘争の焦点となっている。
ウクライナは最近、旧KGB のアーカイブから取られた多数の文書を公開した。これらの文書は、何百万人ものウクライナ人の死につながった政策の目的と運用メカニズムを明らかにしているもので、世界各国で研究が行われ、イギリス、イタリア、フランスなどでアーカイブ資料が公開されている。
それらは、ウクライナとその近隣地域に対し、飢餓が計画的に引き起こされたことを証言している。
研究者のデータによると、飢饉の影響を最も受けた地域は、現在のポルタヴァ地域、スミ地域、ハリコフ地域、チェルカースィ地域、キエフ地域、ジトームィル地域で、犠牲者の 52.8%に当たる。
実際、ホロドモールはウクライナ中部、南部、東部、北部のすべてに広がっていた。
ソビエト・ウクライナ時代の最後の大統領であり、独立したウクライナの最初の大統領であった元大統領レオニード・クラフチュク氏(1934年1月10日-2022年5月10日)は、彼にアイデアを与えたのは、ソ連から独立したウクライナの共産党のイデオロギー部門にあったホロドモールのソビエトアーカイブへのアクセスだったという。
「なぜソ連は崩壊したのか」という本に掲載されたイル・ムリーノのインタビューで、クラフチュク氏は、
ウクライナで秘密裏に流通している「ホロドモール」に関する西側の出版物に対抗するためにアーカイブを参照する任務を党から任されました。私たちはアーカイブを参照し、文書や写真をめくりました。11,000 点の展示物。例えば、飢えた人々の間での共食いのエピソードなど、今でも、その状況、私が感じた感覚を説明することができません。十字架も何も持たずに人々は集団墓地に埋葬されました。もちろん干ばつが原因という資料もあり、これらの黒歴史は何事も無かったかのように...。私はこの報告書を政治局に提出しました。彼らは視線を交わし始めました。その時、ウクライナが全体主義の犠牲者であり、中央権力であるスターリンと彼の仲間がウクライナ国家を排除しウクライナ人を絶滅したかったのではないかと気づきました。
と語った。
2003年、ウクライナ大使が、1932年から1933年にかけてウクライナで犯された人道に対する罪を記念して、25か国が署名した宣言を国連に提出したとき、米国と英国はロシアとともに、ジェノサイドという用語を使用しないよう働きかけたという。
同年、イタリアでも国会議員によってジェノサイドの認定を明確にする動議を議会に提出した。しかし、当時のベルルスコーニ政権はプーチンと強い友好関係にあり、この「イタリアにおけるジェノサイド認定」は非常にデリケートな問題となる。ロシアに配慮し、ベルスコーにから冒険に乗り出さないよう忠告され、もみ消された形となったという歴史がある。
イタリアでは、議会決議で認定の推進を最初に試みたのは、カトリックの歴史家でありストゥルーゾ研究所の所長、PPIの副議長でもあるガブリエーレ・デ・ローサが動議を提出したが、決して承認されることはなかった。 昨年5月にイタリアの民主党議員が動議を出した後、ベルガモ市長のジョルジョ・ゴーリなどが声明を発表し、数か月前に、民主党議員のラチーティ氏とロマーノ氏が連名で動議を提出した。
通常、共産主義政権の犯罪を非難する準備万端なイタリアの右派でさえ、この問題について実際に意見を述べてこなかった。
2006年11月29日、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領は、ウクライナで何年にもわたる激しい議論の後、ウクライナ議会の過半数がホロドモールをジェノサイドと認め、連邦政府はジェノサイドの記念碑を建てた。
その4年後の2010年、地域党の親ロシア派指導者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ新大統領の最初にやったことといえば、ホロドモールを思い出させるウェブページへのリンクを大統領のウェブサイトから削除することだった。
世界の他の地域では、大量虐殺の認識の問題は依然としてデリケートなままであるという。
イタリア、フランス、英国、および他のほとんどの西ヨーロッパ諸国の政府と議会は、ホロドモールを人道に対する犯罪として認める正式な行為を推進したことはない。
米国バイデン大統領でさえ、これまで「ジェノサイド」という言葉を使わずに、ソビエト政権が意図的に組織した飢餓についてだけを非難してきた。
これは、歴としたホロコースト後のヨーロッパ史上最大の虐殺である。
今日のプーチンの攻撃にもみられるように、同じ大量虐殺の言説に基づいている。
これだけのホロドモール(飢餓による大虐殺)がなぜジェノサイドとして認定されないのだろうか。
2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻以降、ウクライナでは公式の記念式典を導入するよう求める声が国内外から高まっていた。
2006年、ウクライナ政府は、11月の最終土曜日は、ウクライナの農民の集団化と国家エリートの清算に対する抵抗を鎮圧するためにソビエト連邦が実施した「飢餓による絶滅」であるホロドモールの記念に捧げられる日を制定した。
今年は、それが11月26日(土曜日)であった。
ドイツでは12月初旬、議会がジェノサイドを承認する動議を採決した。
これは、イタリア、フランス、英国など、ホロドモールの正式な承認行為を通過したことがない国々への圧力を高めることを意図したジェスチャーであった。
しかし、問題は依然としてデリケートで、歴史家の間では意見が分かれており、ホロドモールを大量虐殺(ジェノサイド)と公式に認めている国は約20か国にすぎないのが現状だ。
ここ最近ジェノサイドを明確に認定した国として、チェコとルーマニアとモルドバの3カ国が加わった。
ドイツでの決定と同時にイタリアも動いた。
2022年11月26日 ホロドモール90周年記念の前に、伊メローニ首相による声明で
スターリンのソビエト政権によって求められていた何百万人ものウクライナ人が飢餓によって絶滅したホロドモールの90周年の日に、私たちの思いは何百万人ものウクライナ人に向けられます。ロシアの爆撃は市民インフラを故意に攻撃し、電気、水、暖房を奪われた冬を高齢者と子供が過ごしています。自由と生存のための戦いでウクライナの人々を支援するという信念を強化します。容認できない国際法に違反する行動です。
と強くロシアの攻撃を非難したのちに、
2022年11月29日(火曜日)ローマで、メローニ首相が党首のイタリアの同胞(FDI) は、「ホロドモールをウクライナ人のジェノサイドとして公式に承認することを求める動議を提示」と題する記者会見を開いた。
間も無く、イタリアでもホロドモールはジェノサイドだと認定する決定が採択されるだろう。
著者プロフィール
- ヴィズマーラ恵子
イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie