アルゼンチンと、タンゴな人々
アルゼンチンロック界の父、チャーリー・ガルシアの名曲「ディノサウルス」に込められた想い
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近しい人々の失踪、厳しい検閲、街角には軍服の警察がいる日常。恐怖に怯える日々に一時は活動拠点を移すことも考えたチャーリーでしたが、国にとどまり作品を発表し続ける道を選びました。
7年に渡る軍政下において3つのグループを編成、またソロとしてもとどまることなく活動し、合計で9枚のアルバムを残しています。
そして、軍事政権終焉の時。
1983年10月、アルフォンシン大統領の誕生により完全に民主政治が息を吹き返しました。
数年間に渡り弾圧されていたアートの世界が、アルゼンチン音楽、特にロックやフォルクローレのアーティストたちによる、社会について言及した作品で溢れたのは当然の事でした。
ポスト軍事政権
1983年11月、まさにその新しい政権がスタートしてから一か月後。ソロ名義で「Clics Modernos」というアルバムが発表されます。
このアルバムには、社会への悲痛な叫びが詰め込まれており、後にロック・ナシオナルの概念を形作った作品のひとつと評されています。
その中に、彼の代表曲のひとつである、「Los dinosaurios(ディノサウルス)」という曲が収録されています。
その歌詞は最初のAメロのフレーズの語尾の全てに「Desaparecer」=行方不明になる、が使われます。
この言葉はそれまでは検閲に引っ掛かっていた単語であり、使うことができませんでした。この年には彼だけでなく数々のミュージシャンがこの単語、Desaparecerを歌詞に用いた曲を発表しています。
そして、タイトルの「ディノサウルス」には、「軍事政権」が比喩されています。
この曲は、前述のルナ・パークでの4夜連続公演という熱狂の中で発表されました。しかし、この時多くの人々にとってまだピンと来るものではなかったそうです。拉致、拷問、殺害の事実は闇に隠されたまま、一体政府が裏で何をやっていたか、一般の人々には知られていないことだったのです。
(歌詞拙訳)
「近所の友人が消えるかもしれない
ラジオで歌う歌手が消えるかもしれない
新聞記事を書いている人が消えるかもしれない
あなたの愛している人が消えるかもしれない
空にいる人が、空の中に消えるかもしれない(*)
町の人が町に消えるかもしれない
近所の友人が消えるかもしれない、
でもディノサウルスはいつの日か消える」
(*)=当時の政府により行われていた、拉致した人々を生きたまま海へ投げ捨て殺害するという「死のフライト」を指します。
「ぼくは平常でいられない、愛する人よ
今日は土曜日の夜、友人はCana(檻)の中
人が消える世界
彼ら身重な人々(政治家)は沢山の荷物を背負って生きていく
愛する人よ、ぼくは身軽でいたい
世界が堕ちていくとき
何にも縛られていないほうが良いでしょう?
想像してごらん、ディノサウルスたちがCama(寝床)についている様子を」
この曲は現在でも、軍政時代について言及した、大事な曲のひとつとして数えられています。
その他の代表的な曲としては、チャーリー・ガルシアと並び、ロック・ナシオナルの創始者的存在である ルイス・アルベルト・スピネッタの「Resumen Porteño」。軍政下の悲しい3つのエピソードをもとにした曲です。
そして共産党員だったため亡命せざるを得なかった、国民的フォルクローレ歌手のメルセデス・ソーサが歌った、作曲家であり詩人のマリア・エレナ・ウォルシュの作品である「Como La Cigarra (蝉のように) 」。こちらも非常に美しい詞を持ちます。
この曲が収録されているメルセデス・ソーサのアルバムは、軍政時代に検閲により削除され、当時のアルバムに未収録であった15曲を集めたCDです。
発表されたのはメルセデスが亡くなった2年後の2011年、タイトルは「検閲されたもの:そして私は歌い続けた(Censurada: Y Seguí Cantando)」です。
著者プロフィール
- 西原なつき
バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。
Webサイト:Mi bandoneon y yo
Instagram :@natsuki_nishihara
Twitter:@bandoneona