スペインあれこれつまみ食い
中絶前に胎児の心音を聞かせる?スペインで施行されそうな中絶防止法
「妊娠中絶を踏みとどまらせることを目的とした新しい法律が制定されそう」
女性の権利に一際敏感なはずのスペインで急に飛び込んできたニュースに、思わず耳を疑いました。
このような法律を発表したのはスペイン北西部に位置するカスティージャ・イ・レオン州です。(スペインではアメリカのように州によって法律が異なります)今月13日、この法律の制定を進めた右派政党VOX所属で同州の州副首相でもあるガルシア・ガジャルド氏が会見を開き、この法律の詳細について説明しました。
会見で発表された新しい法律の内容は、中絶手術を行う前により意識的な決断をできるように①中絶を考えている母親に心理カウンセリングを行う②妊娠6週〜9週での中絶を考えている親に胎児の心音を聞かせる③4Dエコーで胎児の状態を見せる、というもの。しかし多くの国民から賛成の意見を得ることはできず、この会見がメデイアで報道された直後から「時代に逆行した法律だ」として批判の声が相継ぎました。
また会見の場で記者からの「エコーは何週目からが対象ですか?」という質問に対し、ガジャルド氏が「うーん、ここにはデータがないですね。」のあとに続いてニッコリと笑いながら「僕、妊娠についてよく知らないので」と返答したことが左派や女性を中心に反感を買い、TikTokやTwitterで動画が拡散されています。
国民だけでなく政府もこの新しく発表された法律には黙っていません。スペイン中央政府報道官のイザベル・ロドリゲス氏は閣僚会議の後に会見を開き、この法律を「暴挙だ」と批判。スペインでは14週以内の中絶は合法となっており、この判断を下すのは女性の権利であり自由だとされています。このような法律を作ることは既に存在する中絶法に違反することになるとして、政府はカスティージャ・イ・レオン州に差し止め要請をだし、州はこれに1ヶ月以内に対応しなければいけなくなりました。
さて、一方で州首相のアルフォンソ・フェルナンデス・マニュエコ氏はこの政府の対応に喧嘩腰で対応します。17日、会見を開いたマニュエコ氏は「政府は差し止め要請を出したと言っているがそんなものは届いていないし、そもそもこの法律を制定するためのプロセスはまだ何も進んでいない。カスティージャ・イ・レオン州は女性や医療関係者に何かを強要することは一切せず、これまでの法律を遵守しつつ新しいサービスを導入するだけで法に反することは何も行わない。」と、中央政府の対応に猛反発。それに加え去年平等省が見切り発車で発令した「イエスと言った時だけ法(Solo sí es sí)」で多くの性犯罪加害者の減刑が行われていることを批判し、要約すると「女性をだしに使って政治的な攻撃をするのはやめて、自分たちのそのお粗末な政治をなんとかすることに集中しろ」と逆ギレとも取れる厳しい批判で会見を締めくくりました。中央政府は左派、カスティージャ・イ・レオン州は右派が政権を握っていることが、今回の出来事をより大きく攻撃的にしてしまった要因の一つになったのかもしれません。
今年選挙を控えているスペイン。対抗馬の評判を落とそうと両派に対するネガティブキャンペーンが止まりません。今回の問題も、初めは「女性の権利を奪う法律ができそうだ」と一般市民も大騒ぎしていましたが、日に日に「右派が〜左派が〜」の争いになっていくことで市民も「あぁまた始まった」と興味を失っていったように感じました。この「アンチ中絶法」が実際に制定されるかどうかはわかりませんが、この命が関係するデリケートなトピックに対して最終的に論点から外れてお互いの政党の悪口の言い合いに落ち着いていくのはいかがなものかと思ったりしています。
人口中絶手術は女性の権利という価値観が広がっていく一方で、ここ数年の間でいくつかの国でそれに逆行するような動きが見られました。アメリカでは最高裁判所がロー対ウェイド判決を破棄したことによって様々な州で中絶を違法とする法律が施行されましたし、ハンガリーでは中絶希望者に胎児の心音を聞かせることを義務化。さらにはポーランドでも中絶が全面的に禁止になるなど中絶手術に関する価値観は世界的にまだ定まっていないように思います。とある調べでは世界の10人に7人は中絶に賛成しているというデータがありますが、少なくとも私が現在住んでいるスペインや過去に住んでいたコロンビアのようなカトリック教徒が多い国では中絶賛成派と反対派は今もだいたい半々くらいで、「中絶は女性の権利」が世界標準の価値観と捉えられるには程遠いのが現状だと感じています。今回のスペインでの出来事も「こんな法律ありえない!」という声が大きい一方で、この法律を通してひとつでも多くの授かった命が生まれてきて欲しいと願っている人が同じくらいの数いるのだと思うと、何が正義か、そして正義とは何なのか分からなくなってしまいます。
著者プロフィール
- 松尾彩香
2015年スペイン巡礼(カミノデサンティアゴ)フランス人の道を完歩。スペイン語習得のために渡ったコロンビアでコーヒー農家になるもスペイン移住の夢が捨てられず、現在はコロンビアのコーヒー事業を継続しながらマドリードのベッドタウンでひっそりとスペインライフを満喫中。
Twitter: @maon_maon_maon