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England Swings!

ラッシャー貴子|イギリス

インドから来た100歳の妹

学校の先生になりたくて大学に行ったものの、卒業を待たずに政府高官と婚約して、国内外で華やかな生活をしていたようだ。「会うとネルーはいつも胸に生花をさしていた」と聞いた記憶があるのだけど、もちろんそれは教科書に出てくるあのインド初代首相のネルーのことだ。そういえば居間にはエリザベス女王と一緒の写真が飾ってあったし、マザーテレサともランチをしたことがあると葬儀で聞いた。あああ、もっと話を聞きたかったなあ。

勝手にインドの人だと思い込んでいたけれど、Nはイスラム教徒で、実家のご家族はパキスタンにいるらしい。それでもインド・パキスタン分離独立前に生まれた彼女は自分をインド人と認識していた。わたしは世界史が苦手だったので、インドの分離独立はほとんど彼女の話から学んだ気がする。

「みんな仲良くやっていたのに、どうして国を分ける必要があったのかしら」と、この話題になると彼女はいつになく厳しい口調になった。お子さんがまだ幼い頃、ご主人の仕事の関係で、暴力が激化した地域に留まったそうだ。プリンセス育ちの彼女は、どんな怖い思いをしただろう。

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葬儀の日は朝からひどく寒かった。Nだったらきっと、ウールのスカーフを器用に頭にくるりと巻きつけて帽子の代わりにしただろう。筆者撮影

いつでも人と一緒にいたいNにとってコロナ禍はかなりの試練だった。だから規制が緩んでフラット有志が運動するために集まり始めると、すぐに彼女も参加を表明してきた。さすがにみんなと同じ動きはできず、毎回わたしと1対1で向き合って周りの動きを真似することになったけれども。

その時に彼女の顔に浮かんだ微笑み、ちょっと恥ずかしいけど人と一緒に運動できて嬉しそうな、誇らしそうな表情は、まるで少女のようだった。わたしには何の運動にもならない時間だったけれど、この笑顔を見るたびにキュンとした。わたしを妹と間違えていた彼女は、わたしにとっても守るべき妹のような存在だった。

コロナが収まっても、よく2人で散歩をした。晴れた日には、「ああ、気持ちがいいわねぇ、太陽を浴びると!」と何度も大きく伸びをするNは、雨が降っても雷が鳴っても出かけたがったので、雷が大の苦手なわたしはちょっと困った。

ある日、別れ際に話がなかなか終わらないので、「ごめんね、仕事に戻らなくちゃ」と言うと、Nは真っ直ぐわたしの目を見て、「わたしは長生きし過ぎたと思うの。すごく寂しいのよ!」と珍しく、叫ぶように言った。返す言葉が見つからず、ただ痩せた体をハグしたけれど、あの時わたしは何をしてあげられたんだろう。

Profile

著者プロフィール
ラッシャー貴子

ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。

ブログ:ロンドン 2人暮らし

Twitter:@lonlonsmile

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