England Swings!
黒澤映画の名作に英国らしさをやわらかく吹き込んだ『生きるLIVING』
とはいえ、原作を知らなくても、このリメイク版は独立した映画としてじゅうぶん楽しめる。その魅力のひとつが「英国らしさ」だ。明るい海辺の景色、緑豊かな郊外を走る蒸気機関車、山高帽を被った紳士たちの通勤、立派な建物が立ち並ぶロンドンの街、贅沢をする有名店、ちょっとした日常のユーモアなど、美しく撮影された映像のあちこちに英国らしさが散りばめられている。
ふんわりと明るい風が吹いているのもリメイク版の好きなところだ。小津安二郎の影響も受けたというイシグロが描く世界は、ドラマチックな原作より静かでやわらかい。それでいて、ここぞというところで心に語りかけてくる。
(ここから少しネタバレになります!)
主人公は病に勝てずに亡くなってしまう。原作は「惜しい人を亡くした」というトーンが濃いのに対して、リメイク版では、「(もちろん残念だけれど)彼はすばらしい人生を送った、その人生を祝福しよう」というメッセージがより強いように思う。
これは、昨年亡くなったエリザベス女王の葬儀で感じたことに似ている。亡くなってすぐは大きな悲しみに包まれたものの、少しずつ人生を国に捧げた功績やチャーミングな人柄が語られるようになった。そして11日後の葬儀では、女王に感謝して、その人生を祝おうという雰囲気に満ちていた。
この傾向は、少しずつだけれど日常生活でも感じている。ここ数年で、葬儀代わりの「故人を語る会」に2度出席した。おふたりとも友人のお母さんで、大往生だったこともあって、楽しく笑って故人の思い出話をする集まりだった。そのうちの一度は、案内状に「母の人生を祝福する会」「ハワイ生まれで明るいことが好きだった母のために、ドレスコードは花柄」と書かれていた(ご家族はアロハを着ていた)。
年配の方に聞くと、英国でも昔の葬儀はしめやかに行われていたようなので、国の違いのほかに、これには現代的な感覚や余裕も関係しているのかもしれない。黒澤版が作られた戦後まもなくの日本では、生きること自体がまだまだ苦しかっただろう。
若者をより丁寧に描くリメイク版には、明るくさわやかな空気も漂う。主人公をよく知る若い人たちの希望を通じて、彼の人生はますます祝福されるように感じる。
Best Actor nominee Bill Nighy arrives at the #Oscars. https://t.co/ESbPYqrUFK pic.twitter.com/ThrMa1IOx4
-- Variety (@Variety) March 12, 2023
最後に主演のビル・ナイのことを少し。『ラブ・アクチュアリー』(2002年)でのぶっとんだロックスター役や、『マリーゴールド・ホテル』シリーズ(2012年と2015年)の朴訥とした、でも頼りになる初老男性の役で知られる彼は、この作品で「キャリア最高の演技を見せた」「彼の代表作になるだろう」と高い評価を受けている。意外にも、アカデミー賞へのノミネートは映画デビュー40年にして初めてのことだ。ピアノにあわせて挿入歌The Rowan Treeを歌うシーンは、唇から涙がこぼれているようで胸がつまった。
この作品ではシリアスな役柄だけれど、ナイ本人は真顔で冗談を飛ばす飄々とした人で、インタビューでもよく聞き手を笑わせている。街でよく見る俳優としても知られていて、わたしも17年で3回、ロンドン市内でお見かけしている。それだけ人目を気にせず、ふつうに生活しているのだろう。しかも自然体だったという好感度の高い目撃情報が圧倒的に多い。飾らない英国紳士という愛されキャラのナイを起用したこと自体が、この作品の英国らしさをぐっと引き立てている気さえする。脚本のイシグロが、この映画はナイありきで作ったと話したことを思い出した。
『生きる LIVING』の日本での一般公開はいよいよ3月31日。黒澤作品を知る人が英国より多いであろう日本で、どんな評価を受けるのか、今から楽しみだ。
著者プロフィール
- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile