England Swings!
プレミアリーグ初観戦でアウェイの洗礼を受ける
試合が始まっても興奮がすぐにおさまらず、しばらくはピッチを見るわたしの目は泳いでいた気がする。ところが絶好調のマーカスは、開始からわずか17分で、さらっとゴールを決めた。驚いたのと嬉しかったのとで、わたしは思わずハリセンをバンバン叩いて、「やったー!」と叫んだ。アーセナルのホームスタジアムにいることは覚えていたけれど、テレビで観ているとゴールでは何らかの歓声が上がるものだし、少しくらい声を上げたって大丈夫、と思ったのだ。
でも、わたしは間違っていた。マーカスが得点した瞬間、わたしの周りだけでなく、かなり広い範囲で声も音も消えさった。あたりはしんと静まり返って、わたしの声だけが妙に響いた(気がした)。まずい。
周りを見ると、かなりの人数が「あなた、なんですか?」という顔でわたしを見ていた。アーセナルグッズも身につけていないし、どうやら外国人だし、ルールもわからないのに観にきた変なヤツだと思われたかもしれない。でも、それならまだいい。マンUをサポートしているとわかったら、ここに座るなと絡まれたかもしれないし、手も出されたかもしれない。瞬時にあれこれ想像して血の気が引き、とっさに手で口をおおって、「あら、わたしったら興奮しちゃって」と言う顔を作って、無言で謝罪アピールをした。心の中では、相手のゴールでこんなに黙り込んでしまうなんてシビアというか単純というか、とつぶやきながら。
その後は、声を出さないように試合の最後までこらえた。日本語でなら大丈夫かも、とも思ったけれど、応援のタイミングが明らかに周りとずれるのでこの手は通用しない。とりあえずマーカスは1点入れたことだし、残りの時間はマンUの応援よりも、ピッチにいるマーカスの姿を見守ることに専念した。
さて、肝心の試合はというと、マーカスが最初に得点してから、アーセナルに1点入ったところでハーフタイムになった。後半は冨安のアシストでブカヨ・サカがアーセナルに1点追加すると、マンUにもさらに1点というスリリングな展開だった。興奮したアーセナルの監督がピッチの端に入り込み、イエローカードを出されるハプニングもあったほどだ。このまま引き分けるのかと思いきや、後半のアディショナルタイムでアーセナルが再びゴールを決めて、そのまま3対2で勝利した。スタジアムは大興奮の渦に包まれ、耳を覆いたくなるほどの大音量で歓喜の声が響いた。
試合終了後、早々に帰ろうとするわたしたちの周りで、アーセナルのサポーターたちはいつまでも席やバーで雄叫びをあげていた。スタジアムを出る途中、わたしはふいに激しい動悸を感じたので、建物の外で少し様子を見ることにした。勝利の喜びに酔うサポーターの騒ぎはスタジアムの外でも続いていた。これがまた、試合中の応援に負けないほどの大声なのだ。突然、我慢できなくなって、わたしは叫んだ。「きゃーー!」
夫がぎょっとした顔でわたしを見たけれど、そんなことにかまっていられない。試合中、周りの大声援の中でずっと黙っていたので、あの場が生み出したエネルギーのようなものが体に吸い込まれたままだった。それが処理しきれないほどたまって、何かで発散せずにいられなかった。スタジアムの熱気に当てられたということなのだろう。一度叫んだら、つきものが落ちたようにすっきりして、自分でも驚いたし、今書いていてもちょっと怖い。あとで「アウェイの洗礼」という言葉を教えてもらい、これがそうだったのかもしれないと思った。
試合が終わっても最寄りの駅は閉鎖されたままだったので、別の駅を目指して大勢と一緒にぞろぞろ歩いた。途中、いくつかのパブから嬉しそうな歌声や叫び声が聞こえてきた。アーセナルのサポーターが場所を変えて祝杯をあげていたようだ。最初にたどりついた駅にはすでに長い行列ができていたので、さらに別の駅まで歩き、小1時間後になんとかバスに乗ることができた。
とても寒い日だったけれど、興奮のせいか、それほど寒さは感じなかった。それに、なにやら大きなエネルギーのやりとりを感じた後だったので、夜風の中を歩いて頭を冷やすことも悪くなかった。少なくともこの時のわたしには必要だったと思う。
著者プロフィール
- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile