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トルコから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ

アレッポ石鹸の輝きをトルコでも - 伝統の製法と本物にこだわるシリア難民の石鹸作り

アレッポ石鹸 - 筆者撮影

アレッポ石鹸...誰もが一度は耳にしたことがある名前かもしれません。シリア第二の大都市アレッポで先祖代々、幾世紀にもわたって作り続けられてきた石鹸のことです。その歴史は 2000 年ともいわれます。アレッポ石鹸は、オリーブオイルとローレル (月桂樹の実) オイルでできた無添加の石鹸。正真正銘 100% ナチュラルな石鹸です。

首都のダマスカスとほぼ同規模の大きな都市だったアレッポ。日本でよく関西と関東が比べられるように、シリア人もダマスカスとアレッポをよく比べてご当地自慢を繰り広げていました。シリアの内戦が 2011 年に始まり、シリア国内の製造業は大きなダメージを受けました。商業の中心地だったアレッポも戦火に巻き込まれました。

そんなアレッポには、50 ほどの石鹸工場があったと言われていますが、ほとんどが破壊されました(フランスの国営ラジオ放送局のページから)。フランスのパリでアレッポ石鹸の製造を再開したシリア人もいます。この記事では、難民としてたどり着いたトルコでゼロからのスタートを切ったアレッポ石鹸の老舗ブランド El-Tahhan (タッハーン) 社の 3 代目職人のプライドをお伝えします。

Waddah 氏.JPG

El-Tahhan (タッハーン) 社の 3 代目職人 Waddah 氏 - 筆者撮影

アレッポ石鹸の歴史

諸説ありますが、アレッポ石鹸の製造は 2000 年以上の歴史を持つと言われています。絶世の美女クレオパトラやパルミラ王国を築いたゼノビア女王が使っていたという説もあるようですが、これについては考古学的な裏付けはありません。でも石鹸作りは今のシリアをメインに広がる Levant (レヴァント) 地域で始まったと言われています。

例えば、西暦 3-4 世紀のギリシャ人化学者ゾーシモスという人物が自著で石鹸と石鹸の製造に言及しているようです(ウィキペディアのアレッポ石鹸の項目)。ざっと計算しても、やはり 2000 年以上前ということになります。一方、ヨーロッパに石鹸の製造技術が持ち込まれたのは、第一回十字軍の遠征後 (11世紀後半) だったようです。ですから、石鹸作りがヨーロッパに広まるずっと前に、ローマ帝国の現在のシリア周辺にあたるエリアではすでに石鹸が作られていたということです。

アレッポでは、先祖代々この家業が受け継がれてきました。アレッポには、石鹸作りのいわゆる「老舗」と呼ばれる会社が幾つかありました。この記事で「老舗」というのは、石鹸作りを世代から世代へと 100 年以上に渡って受け継いできた会社 (通常は家族経営) のことです。なお、石鹸づくりがもともとは家業ではなかったものの、石鹸づくりを始めるようになったシリア人は多くいます。

石鹸づくりで 100 年以上の歴史を持つアレッポ出身の「老舗」は 5-6 家族ほどのようです。その老舗の匠たちの中で、トルコでアレッポ石鹸の伝統製造を復活させたのは 1 家族だけです。それが El-Tahhan (タッハーン家) です。現在 3 代目が石鹸製造を担います。子供たちはすでに成人していますので、4 代目が担うようになる日が来るのも近いかもしれません。

ブランド El-Tahhan (タッハーン) の 3 代目である Waddah (ワッダーハ) 氏がトルコ南部のガジアンテプでアレッポの伝統製法を復活させたのは 2015 年。アレッポの自社工場が爆撃されて破壊されたときにトルコへの移住を決意します。

アレッポ石鹸とは?

一般的な石鹸の基本的な材料として「油 + 水 + 苛性ソーダ」と言われます。アレッポ石鹸に使われる材料もこれと同じです。では他の石鹸とアレッポ石鹸とはどう違うのか?

先ほど書いた「油」という部分ですが、市販の石鹸の多くに使われているのは「獣脂」だそうです。これは牛や羊の脂肪で、食肉加工の過程で出てくるあの白いかたまりです。あるいは植物性油脂としてパーム油が使われます。

実際、日本で使われている浴用石けんの多くは、その原料が牛脂 (70-80%) とヤシ油から作られているという情報もあります。また液体の石鹸やシャンプーには石油原料が多く使われています。さらに蛍光剤、防腐剤、着色料、香料などが添加されているものがほとんど。好みの使い心地や香りを選べるという点では魅力的ですが、人体に好ましくない成分が添加されていることも多々あります。

アレッポ石鹸の材料となる「油」は、オリーブオイルとローレルオイルだけ。ローレルとは日本で一般的に月桂樹と呼ばれている木のことで、この実から取られたオイルがアレッポ石鹸の材料となります。ひとことでアレッポ石鹸といっても、ローレルオイルの含有量によって値段が異なります。ローレルオイルは希少なオイルなので、この含有量が増えれば増えるほど石鹸の価格も高くなります。

ローレルオイルは月桂樹の葉からではなく実から取られます。熟した実を 24 時間以上ぐつぐつと煮続け、浮き上がってくる油をすくい取る方法で作られます。ですから時間のわりに出来上がるオイルの量は多くありません。こうした理由から希少で高価なオイルと言われています。ローレルオイルは昔から中東で肌や髪のケアに使われてきました。

石鹸作りがアレッポで発達した理由

適した気候や原材料の入手のしやすさなどが挙げられます。

気候としては、アレッポ石鹸には四季が必要だということ。アレッポ石鹸は冬に仕込まれます。12 月から 3 月頃までが石鹸の製造時期。冬に仕込んで、春→夏→秋と半年から 1 年未満寝かせます(自然乾燥させます)。このため、年間を通じて乾燥している気候が必要。

原材料となるのは、先ほども書いた通りオリーブオイルとローレルオイル。オリーブの木はアレッポ周辺のアフリーンやイドリブが産地。高地を好むローレルの木は、ラタキアやバニヤスなど地中海沿岸部で育ちます。いずれもアレッポ周辺の地域です。こうした好条件が整ってアレッポで石鹸作りが幾世紀も行われてきました。

なぜトルコの中でもガジアンテプがアレッポ石鹸の再起場所に選ばれたか

地図で見ていただくとお分かりになるように、シリアのアレッポとトルコのガジアンテプは非常に近いです。

車で2時間強の場所。ですから、気候がとてもよく似ています。また原材料となるオリーブオイルとローレルオイルの産地も非常に近い。トルコのオリーブオイルの産地は、Kilis (キリス) と Nizip (ニズィップ)。ローレルオイルは Antakya (アンタキヤ) や Iskenderun (イスケンデルン) などの地中海沿岸で取れます。アレッポとほぼ同じ条件がそろっているのがトルコのガジアンテプなのです。

El-Tahhan 社が再起をかけたのはガジアンテプ県の中でも Nizip と呼ばれるエリア。先ほど述べたようにオリーブオイルの原産地でもあります。この Nizip では古くから石鹸づくりが行われており、石鹸工場がたくさんあります。ただトルコの石鹸製造は、質の低下などの理由で廃れていきました。El-Tahhan 社が買い取ったのも、こうした廃れた石鹸工場の 1 つ。7 年間使われないまま放っておかれていた工場でした。

シリアでかなり名の知れた老舗だった El-Tahhan 社。シリア内戦に伴い失ってしまったクライアントもたくさんいたようですが、トルコで新しいクライアントを獲得し、現在はカナダ、サウジ、オマーン、ヨーロッパ諸国、そして日本など輸出先を拡大しています。El-Tahhan ブランドの成功の理由として、3 代目の匠は「トルコには競合する石鹸製造者がいなかった。そのため自分が入りやすい環境だった」と話しておられます。

アレッポ石鹸の伝統的な製造方法

ここで、El-Tahhan 社がアレッポ石鹸を実際に作っている様子をビデオでご紹介します。トルコの番組やカタールのアルジャジーラなどが El-Tahhan 社の工場に取材に入ったことがあります。今回ご紹介するのは、2019年のアルジャジーラによるビデオです。アラビア語となっていますが、石鹸づくりのイメージをつかんでいただけると思います。この工程は、伝統的なアレッポ石鹸の製造方法で、他の会社も同じ方法で作ります。

石鹸づくりの工程を簡単に説明します。

1. オリーブオイルと水と苛性ソーダを大釜 (以下の写真 1 を参照) に入れて煮込みます。ゆっくりとミキサーを回しながら煮込む期間は3日間ともいわれています。ローレルオイルを加えるタイミングは会社によって異なるかもしれませんが、ローレルオイルも最終的に混ぜ込まれます。El-Tahhan の匠はここでニオイを確認し、味見もします。ここが匠の業です。石鹸の良しあしは味で決まる!

2. 出来上がったアツアツの石鹸下地は、床一面に敷かれた薄いバットの上にホースで流し込まれます。湯気がもうもうと立ち上る熱さです。石鹸はすぐに固まり始めるので、手早く表面をならしつつ、石鹸の厚さを均一にしていきます。左官屋さんのような手さばきです。

3. 一日ほどそのまま置いて冷まします。

4. 石鹸がある程度固まったらカット作業に入ります。この工程が面白いです(以下の写真 2 を参照)。ちょうど農作業で使われる「熊手」に似た形の鉄製の器具に一人が乗り、別の人がそれをゆっくり手前に引きながらカットしていきます。機械は使いません。

5. カットされた1つ1つの石鹸の上に、会社のロゴを打ち付けます。ちょうどスタンプを押す作業の要領です。こうした工程すべてが手作業です。

6. 最後に出来上がった石鹸を並べて乾燥させます。乾燥にかける期間は 6-7 か月またはそれ以上です(以下の写真 3 を参照)。

釜.JPG

写真1:オリーブオイル、ローレルオイル、苛性ソーダ、水を入れて煮込む大釜 - 筆者撮影
アレッポ石鹸の切り方.JPG写真2: アレッポ石鹸の切り方 YouTube Insider チャンネルより

アレッポ石鹸.JPG

写真3: 工場内に並べられたアレッポ石鹸。乾燥した後に出荷されます - 筆者撮影

市販の石鹸の場合、作ってから1週間ほどですぐに売り出されるものもあるそうです。対してアレッポ石鹸は半年以上寝かせてようやく完成です。作り立ては濃い緑色ですが、乾燥が進むと黄金色に変化していきます。

半乾きの石鹸2.JPG

乾燥の工程の途中のアレッポ石鹸。表面にまだ緑色が残っています。 - 筆者撮影

乾燥して黄金色に変化した石鹸は、アラビア語で「ذهب حلب」(アレッポの金) と呼ばれます。まさにアレッポの誇りなのです。

アレッポ石鹸の匠がこだわり続けるもの

世の中には新しい製品・商品が次々と送り出されます。石鹸、液体石鹸、シャンプー...。ドラッグストアでは目移りしてしまいます。消費者の目も肥えています。そんな中で、アレッポ石鹸は幾世紀も続いてきた伝統的な製法を現在まで保っています。現在のテクノロジーはほとんど使いません。強いて言えば、石鹸の下地を混ぜて煮込む大釜は機械化されています(上記の写真 1 をご参照ください)。トンという単位で石鹸を作りますので、これはやむを得ないこと。これ以外は、全て人の手で作業されます。

オリーブオイルとローレルオイルだけを使った 100% ナチュラルな石鹸。El-Tahhan 社の匠がこだわるのはこの「質」です。アレッポ石鹸と名売っていても、実は別の植物オイルが使われていたりすることがあります。でも物作りの匠に妥協という言葉はありません。儲けより大切なもの、それは物づくりの職人としてのプライドです。儲けのために多からず少なからず妥協するということは、自分自身を否定すること。老舗としての誇り、受け継いできた家業への誇り、伝統への誇り、そして自分自身の誇り...この全てをかけて質の良さを追求します。

可愛いもの、見栄えがするものがもてはやされる中で、アレッポ石鹸は確かに武骨。素っ気のない色合い。アレッポの職人魂を象徴するかのようです。でもその質の良さと気高い香りは、100% 自然の石鹸ならでは。

完全に乾いた石鹸.JPG

乾いたアレッポ石鹸の表面は黄金色に変わります - 筆者撮影

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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