NYで生きる!ワーキングマザーの視点
NYから日本帰国後、お笑い芸人として活躍中の武内剛制作ドキュメンタリー映画「パドレ・プロジェクト」公開!
ニューヨークで7年間、ミュージシャンや俳優として活動していた武内剛は、日本へ戻ってからお笑い芸人「ぶらっくさむらい」としてお笑い番組などのテレビ出演も果たし、人気を得た。
コロナ禍となり、世界でたくさんの人が病に倒れ、聞き慣れない「ソーシャルディスタンス」という言葉のもと、新たに人間どうしが距離をとるという混乱が起きる中、
「死ぬ前に一度でいいから、父親に会いたい」と、40歳になった武内は、イタリアへ父を探しに旅立った。
イタリアでの父親探しは、ドキュメンタリー映画「パドレ・プロジェクト/父の影を追って」として、武内自らがプロデュース・監督・出演をつとめた。デトロイト・トリニティ国際映画祭では最優秀国際映画賞を受賞した作品である。2024年8月31日より、日本全国ロードショーで公開される。
──この映画を制作しようと思ったきっかけは何ですか?
父のことは以前より母から聞いていて、悪い印象は抱いていなかったので、いつか会えたらいいなぁ、、、と思っていましたが、20代の頃は、自分の人生に必死でそれどころじゃなかったこともあって。
コロナウイルスのパンデミックの影響で、世界中で沢山の人がコロナにより亡くなったというニュースを目にして、今までずっと蓋をしてきたアフリカ人父の存在が急に気になり始めて、いてもたってもいられなくなりました。
父探しの旅をYouTubeなどでVログ(ビデオブログ)的に発信するのはどうだろう、と思い立ったのです。
前に「父は若い頃に映画監督を目指していた」と母が言っていたことを思い出し、「よし! YouTubeでこじんまりやるより、いっちょ映画にしちゃえ!!」と映画にすることを決意しました。
──コロナ禍の中でイタリアに行く決断をした理由を教えてください。
コロナの期間中にクラウドファンディングで渡航費用を集めることができましたが、海外の渡航制限の影響で行くのを制限されてしまいました。その期間が半年以上はあって、これ以上待っていられないという感じで、渡航制限が緩和されたタイミングですぐに出発しました。
──事前にお父様がいらっしゃる場所を特定はできていたのですか?
事前にあまりリサーチをせずに行ったほうが面白い動画が撮れそうだと思い、入念なリサーチをせずに出発しました。
一応Facebookで父親と数十年前に付き合いがあったという人にコンタクトをとってはみましたが、その人ももう連絡先がわからないということで、お手上げ状態でした。でも日本にいてもどうしようもないので、現地に行ったほうが早いという勢いで強行出発しました。
──イタリアでは、観光もしましたか?
観光スポット等をゆっくり見たりする余裕は、まったくありませんでした。でも父親の情報を集めたりするため、ミラノの街中を自転車で走りまわったり、観光客はいかないであろう場所に突入したり、現地の人に話を聞いたりできたので、まぁちょっと変わった観光したっていう気分にはなっています。
──イタリアの文化や人々と触れ合って、何か印象的な出来事はありましたか?
Airbnbサイトを通して見つけたミラノ郊外にある、とあるおばあちゃんの自宅に 撮影監督の成富さんと僕の2人でずっと泊まっていました。
そのおばあちゃんは、すごくいい人で、毎日のようにイタリアの手料理でもてなしてくれました。現地の人しか作れないようなパスタを作ってくれたり、朝食も毎日作ってくれましたし、普通のホテル滞在の観光客では味わえないような経験ができたのはラッキーでした。
ミラノの中心地からは少し遠いんだけど、最高のホスピタリティーなので、もちろんAirBNBレビューでも最高の評価で、星5つです。またミラノに行く機会があったらぜひそこに泊まりたいです。
ミラノに行く皆さん、アンナさんの家っていう風に探せば、多分出てくると思うのでお勧めです。アンナさんありがとうございました。Grazie!
あとはイタリア人は食事をしながらおしゃべりすることを、すごく大事にする人たちだと思いました。
──イタリアでは英語を話さない人も多いと思いますが、どうやってコミュニケーションをとりましたか?
通訳のキキさんが助けてくれました。あとミラノには、英語を少し話せる人もいました。
それでも父親探しというデリケートな内容を告げて他者に情報収集を協力してもらったり、その様子を撮影しなければならないため、キキさんのような、通訳兼コーディネーター的な役割の人がいなかったら、厳しかったなと思いました。
──生き別れた父親を探す旅の中で、一番印象に残っているエピソードは何ですか?
全く僕のことを知らない見ず知らずの現地の人たちが、とても親身になって協力をしてくれたことです。
僕は東京で見知らぬ外国人が困っている時に、彼らに手を差し伸べることができるのだろうか....?とかいろいろ考えてしまいました。東京はみんな忙しく自分の生活に必死なので、そんな中で人助けができる人は素晴らしいと思います。
──映画制作の中で最も困難だったことは何ですか?
やっぱり今回、プロデューサーもやってるので、資金面ですね。
クラウドファンディングを2回実施して、有難いことに資金調達に成功したのですが、それでも全然足りないので別の仕事で得たポケットマネーを投じて、なんとか公開まで漕ぎ着けました。
映画はお金がかかる割に、回収の見込みが全然立たないし、時間も労力もかかるし、コスパの悪い※1.コンテンツだなぁと初めて携わってみて思ったのですが、作品を観て喜んでくれた人の顔を見ると、そうした苦労も吹き飛んでしまうから不思議です。
──映画の中で一番感動した瞬間はどこですか?
イタリアでは、撮影監督の成富さんと2人だけでいる時間が多く、緊張する場面もあったりしたので、ビジネスパートナー以上の絆ができました。
イタリアから帰国し、イタリアでの撮影を全て終了した時は、昔っからの親友と喜びを分かち合うように、感極まりました。あの時の酒の旨さは、忘れられないです。
──芸人としてのキャリアが、この映画制作にどのように影響を与えましたか?
芸人のネタを作る時は、人にわかりやすいようネタの設定を伝えて、オチで笑いが起きるように仕掛けなければなりません。
そのため誰もがわかるような言葉で、いかにシンプルに伝えるかという事を意識して毎回ネタを作っていましたが、それは映画作りにも活かせたような気がします。
あと、チャップリンか誰かが言ってたけど、※2「笑いと涙は紙一重」ということを本作品を作って改めて感じる事ができました。「幸せも悲しみも表裏一体なので、今この瞬間瞬間を必死に生きるしかない」と思いました。
──ニューヨークに住んだこともありましたが、イタリアとどちらが住みやすいと感じましたか?
全く違う国と街なので、単純に比べることはできませんが、今は年齢も40を超えて、落ち着いてきたので、なんとなくイタリアの方が住みやすいかもしれないと思いました。
しかし、それは観光で行っただけだから、あまり深い部分を見てないからそう思うんだと思います。NYに7年も住んで、ある程度裏側も見た僕にとっては、この歳からNYに住むのはキツイなぁ、、、と思います。やっぱり日本がいいです(笑)。
──このドキュメンタリーを通して、観客に伝えたいメッセージは何ですか?
若い人に観てほしいので、ありきたりだけど、「人生一度きりなので、何かやりたい気持ちがあれば、失敗を恐れずにチャレンジしてほしい。」という事が伝えたいです。
あと、例えば、もし何年も会ってない人がいて、気になっているのであれば、一度そのことをゆっくり考えてみるのも、良いのではないでしょうか?特に家族とか親子という存在は、人間にとってとても大事なものだと思います。
どれだけ嫌いでも、憎しみ合ってても、やはり血やDNAといったものにはあらがえない。僕の場合は映画にするという形で、自分の気持ちに折り合いをつけることができました。
別に自分の主張や思いを押し付けるつもりはないし、各々が自分の中で 解決を解決する術を探れば良いと思います。嫌なら縁を切る、という選択もヨシ。会いたくはないけど、手紙くらいなら書くか、、、というのでもヨシ。
まぁ人生の最後に後悔が残らないような選択をするのが、いいんじゃないかと思います。
──今後の映画制作や他のプロジェクトに対する計画や展望を教えてください。
とりあえず、次回作の予定はまだないけど、多くの人に観てもらえるよう、監督兼プロデューサーとして最大限の努力をしたいです。
この2年、本作品を通して、普通の人が決してできない経験をしたので、上映が終わったあとは講演などをして日本を周りたいと思っています。
※1コンテンツ...映画や音楽、アニメ、ゲーム、漫画、キャラクターなどの創造性が魅力の知的コンテンツを「デジタルコンテンツ」と総称し、これらのコンテンツを商品として扱う業界はコンテンツ産業やコンテンツビジネス分野とされています。
引用元:https://keywordmap.jp/academy/high-quality-content/
※2「笑いと涙は紙一重」とは、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」世界の三大喜劇王のひとり、チャーリー・チャップリンの名言を要約したもの。自らが悲劇と思ったことが実は、その後の人生を好転させるためには必要不可欠な出来事だったということは往々にしてある。
引用元:https://www.compass-point.jp/kakugen/3682/
©Go Takeuchi
【プロフィール】
武内剛(たけうちごう)
日本とカメルーンのMixで名古屋市出身。2004年にアメリカNYに渡り現地の演劇学校で3年間パフォーマンスを学んだ後に帰国。「ぶらっくさむらい」としてSMA(ソニーミュージックアーティスツ)よりピン芸人デビュー。 音楽を使ったパフォーマンスをメインにテレビ(エンタの神様など)、ライブ等で活躍。(R-1ぐらんぷり2017準決勝. 第1、2回歌ネタ王準決勝進出)
2018年にサンミュージックに移籍。漫画のWeb連載を開始。2020年、より活動の幅を広げる為独立する。現在は講演活動や自身のドキュメンタリー映画製作の準備など多方面で活躍中。
【関連リンク】
〇パドレ・プロジェクト公式サイト
〇Facebookページ
〇ワクセルオフィシャルウェブ
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com