NYで生きる!ワーキングマザーの視点
東京オリンピックが決まった瞬間を撮影したコーディネーター松本さん
「オリンピックがあれば、アメリカにも取材の仕事が入るので、仕事がなくなることはないのですが。。。COVID-19の感染者が増え続けている状況で、無理をしてまでオリンピックをやる理由が見つからないんです」
松本孝幸さんは、ニューヨークで映像の仕事に携わったあと、フリーランスとなってからは、日本のテレビ各局のコーディネーターとして、ニューヨークを拠点に、世界各国へ飛び回ってきた。東京オリンピックが開催国と決まったときにも、日本からの報道陣が、たった二人だけ入れたブエノスアイレスの会場で、決定的瞬間を撮影したのが松本さんだった。
オリンピックに関してだけでも、これまでバンクーバー、ロンドンそしてソチの撮影コーディネーションも仕事としてやってきたという。
しかしCOVID-19のため海外渡航もままならなくなってから、メディアの仕事は激減し、日本へ帰国している関係者も少なくない。今回は、オリンピック決定の瞬間に立ち会った松本さんが、どんな思いで、オリンピック開催を反対しているのかうかがった。
「2013年、オリンピックの開催国決定が発表された会場へ、撮影に行ったのですが。東京、マドリードとイスタンブールだけが中継を許されてました。日本からの報道関係者は、アナウンサーと私の二人しか入れませんでした。
日本のカメラは中継するために1台だけ入れるのが可能で、携帯を2台渡されたのですが、会場は地下だったため電波は届きません。
ビデオ撮影は電波がなくても機能が使えるので、携帯で撮影したんです。IOC(国際オリンピック委員会)のメンバーだけが壇上にいて、『東京!』って決まった瞬間、感極まって取材を忘れたアナウンサーが叫んだほどでした。映像は、その持ちこんだ携帯で撮ったもので、テレビ朝日で放送されました。
開催国が東京に決まった瞬間の場所にいさせていただいたので、個人的には、非常に特別な思いが東京オリンピックにはあるんです。それでも、COVID-19感染に関する加害者や被害者といういろいろな関係者のことを考えると、今はやるべきじゃないって思います。日本国内が抱えるであろう責任を考えると、無理なのです」
どのような状況によって、日本での開催が無理なのだろうか?これまで長い間、世界各国を飛び回り、日本へ情報を発信してきた松本さんだからこそ、世界の状況を把握しているといえる。その彼が言うには、日本にオリンピックを開催できる経済力が、既にないのだという。
「選手と関係者およそ2〜3万人に、毎日PCR検査※をしなければなりません。まずは、その費用だけでも、全員がやるとなれば、かなりかかります。選手を受け入れる国なのに、日本国民自体にも、いまだCOVID-19のワクチンやPCR検査が行き届いてない状況です。医師からの診断がなければ、PCR検査を無料で行えないため、COVID-19に感染しているのかどうかさえも不透明なのです」
その上、オリンピックのために必要な、医師や看護師もいまだに見つかっていないとなると、もはやオリンピック開催は、世界に向けて責任問題として重い。
ニューヨークのラジオでも『60パーセント以上の日本国民がオリンピック開催を反対している』という報道が、CMのようにさり気なく流れている日があった。
「高円宮妃久子さまも東京オリンピック決定の瞬間にいらっしゃっていて、彼女のスピーチはフランス語で素晴らしくて、ワンダフルそのものでした。
まさに日本のおもてなしの心が、会場にいる人たちにも伝わったでしょう、皆とても喜んでいましたし、最高のスピーチでした。だからこそ、その日本のおもてなしの心を、世界に伝えられない状況というのは、本当に残念に思います」
アメリカの民間人の中には、『日本国民そして、選手や関係者らが、COVID-19のワクチンを打っていれば、オリンピック開催は問題ないのでは?オリンピックをやらないとなると、日本に来るべき経済の潤いを逃すことになるのではないのか』という率直な意見もある。
そんな中、5月24日に米政府は日本への渡航をレベル4「渡航してはならない」と勧告。一方で、米オリンピック関係者は、東京オリンピックに安全に参加できると確信しているという。いったいどうなるのか?毎日、東京オリンピックの行方を案じる日々だ。
※PCR検査に関しては、民間で行うと、2万円以上かかるというが、2021年の5月に入ってから、安くで検査できる機関も出てきているようだ。https://www.timeout.jp/tokyo/ja/things-to-do/where-to-get-a-covid-19-pcr-test-tokyo)
©Takayuki Matsumoto
【プロフィール】
松本孝幸(まつもとたかゆき)
1986年渡米。コンピューター会社、ブティック広告代理店に勤めたあと、ドイツ、イギリス、フランスに住み、再度渡米。直ぐに日本航空の関連会社で10年、その後日系の映像制作会社で10年勤めた後フリーランスとなる。お問い合わせny1page@gmail.com
著者プロフィール
- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com