コラム

精神医学の専門家が危惧する、トランプの「病的自己愛」と「ソシオパス」

2017年10月27日(金)15時00分

一部の「われわれの警告する義務」では、「警告義務」は専門家と患者の間にある「黙秘義務」を覆すという立場で書かれている。「警告義務」とは、患者から特定の人物への殺意を告白されていたのに、治療者が「黙秘義務」を守ったために実際に殺人が起きたタラソフ事件が発端である。この事件で治療者は責任を問われ、現在では、第三者への危険が明らかになった場合には「黙秘義務」より「警告義務」が優先されることになっている。

この部分では、それぞれの執筆者が「検査もせずに診断はできない」というゴールドウォーター・ルールをわきまえたうえで、公の場で簡単に入手できるトランプの言動から該当する人格障害などを挙げ、「トランプは大統領として危険だ」と警告している。

二部は精神医学専門家が抱えるジレンマがテーマだ。国や人々の安全が脅かされる場合、ゴールドウォーター・ルールよりも「危険を知らせる義務」のほうが大きいのではないか、というものだ。

三部のテーマは、トランプが社会に与えた影響や、今後の危険性についてだ。

だが、読み逃してはならないのは、本文に移る前のロバート・J・リフトンによる「まえがき」だ。

朝鮮戦争のとき空軍の精神科医として日本と韓国に駐在したリフトンは、戦争と人間の心理に興味を抱くようになり、原爆の被害者、ベトナム戦争帰還兵士、ナチスドイツの医師などについて本を書いた。そんなリフトンが警告するのは、「Malignant Normality(悪性の正常性)」だ。

私たちのほとんどは、自分が暮らしている環境が「正常」だと思っている。けれども、「正常」の基準は、特定の時代の政治的環境や軍事的な動向の影響を受けて変化する。そして、私たちは、その変化にたやすく慣れてしまう。

極端な例はリフトンが研究したナチスドイツの医師たちだ。彼らは、アウシュビッツで恐ろしい人体実験や殺人を行った。

「動揺し、震え上がった者がいるのも事実だ。しかし、手慣れた者が一緒に大量の酒を飲み、援助や支援を約束するなどのカウンセリング(歪んだ心理セラピーとも言える)を繰り返したら、ほとんどの者は不安を乗り越えて殺人的な任務を果たす。これが、『邪悪への適応』プロセスだ」とリフトンは言う。ナチスドイツの医師たちの間に起こったのは、「邪悪への適応」から「邪悪の正常化」だった。

リフトンによると、近年のアメリカにも「悪性の正常性」の例がある。ジョージ・W・ブッシュ政権下で、CIAは「増強された尋問のテクニック」と称して「拷問」を取り入れた。その拷問プロトコルの作成者の中に心理学者が2人含まれていたのだ。

冷戦時代の初期には、政府が核兵器の大量貯蔵を「正常なこと」とアメリカ国民に説得させる任務を精神心理学の専門家が導き、近年では地球の温暖化を否定するグループのために専門家が働いた。

このような過去を念頭に、「(トランプ時代の専門家は)この新しいバージョンの『悪性の正常性』を無批判で受け入れることを避けなければならない。そのかわりに、我々の知識と経験を活かしてあるがままの状況を暴露するべきだ」とリフトンは主張する。

さて、肝心のトランプの精神状態だが、専門家はどう見ているのだろうか?

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア政府系ファンド責任者、今週訪米へ 米特使と会

ビジネス

欧州株ETFへの資金流入、過去最高 不透明感強まる

ワールド

カナダ製造業PMI、3月は1年3カ月ぶり低水準 貿

ワールド

米、LNG輸出巡る規則撤廃 前政権の「認可後7年以
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story