標高日本一の空港の「微妙な立ち位置」 交通の要衝・塩尻から松本へ
◆交通の要衝にひっそり建つ文芸とポルノだけの映画館
江戸時代の塩尻は中山道の宿場町だった。現塩尻市域には、塩尻宿と合わせて、有名観光地の奈良井宿など5つの宿場町がある。現代の塩尻市も道路交通の要衝として機能しており、北東の長野・松本〜日本海方面と、南西の木曽・名古屋〜京都方面に向かう国道の分岐点になっている。鉄道も塩尻で分岐する。少しずつ繋ぎながら令和の日本を歩くこの旅では、各回のルートを中継するスタート・ゴール地点として、ルート上を通るJR中央本線の駅を利用してきた。つまり、毎回中央本線の駅を目指して歩き、電車に乗っていったん帰宅。後日また中央本線に乗って同じ駅にやって来て再スタートするという形でルートを繋いでいる。そんなふうにお世話になってきた中央本線とも塩尻駅でついにお別れとなる。
中央本線は、東京―名古屋間を結ぶ幹線だが、塩尻で管轄がJR東日本とJR東海に分かれる。東京―塩尻はJR東日本、塩尻―名古屋はJR東海になっており、新宿発の特急「あずさ」は塩尻から篠ノ井線(JR東日本)に乗り入れて松本まで行く。つまり、広義の中央本線は、東京―名古屋間を言うが、会社をまたいだ直通列車はなく、塩尻で一旦途切れる。そのため、JR東日本区間を「中央東線」、JR東海区間を「中央西線」とも言う。すなわち、中央東線に沿ってきた我々の歩き旅は、ここから先は西線の方には行かず、篠ノ井線を経て大糸線に沿って歩いていくことになる。フォッサマグナという地質学的な東西の分かれ目に、このような鉄道運行上の境界(会社間のナワバリとも言う)があるのは、決して偶然ではないだろう。
ところで、地方都市の中心が駅前からロードサイドへと移った今、全国どこの田舎町も、駅前は閑散としている。旅人の勝手な目線では、そこにかえって哀愁を帯びた旅情を感じるわけだが、今回も、駅前から伸びる商店街の外れに、昭和ノスタルジックな出会いがあった。今やめっきり減った地方の単館映画館だ。さらに好感度ポイントが高かったのは、かかっていた映画が文芸作品とポルノ映画のみだったことだ。今や地方で映画といえばショッピングモール内のシネコンが多く、かかっているのは全国共通のハリウッド大作やアイドルが主演しているような薄っぺらい邦画、あるいはアニメ映画ばかりで味気ない。ところが、この映画館では、逆にそういう最大公約数向けの映画はかかっていなかった。おそらく、経営上の問題で仕方なくそうなっているのだろうが、都会の単館系の映画館でしか見られないような文芸作品を地方でも見られるという事実は、文化・芸術振興的にもっと評価されて良いと思う。その副産物としてポルノ映画がかかっていることには、「芸術」と「商業」を両立させる方便として、どうか目くじらを立てずに静観してほしい。
◆国道20号の終点
塩尻駅前の食堂でご当地グルメの「山賊焼」(大きくて平たい鶏もも肉の唐揚げ)と馬肉を食べた後、もと来た道を戻り気味に、国道20号と19号の交差点に向かう。この旅で、中央本線とともにルートの目安としてきたのが、東京都内では甲州街道と呼ばれる国道20号である。東京・日本橋を起点とする国道20号は、この塩尻が終点なのだ。終点で中山道と重なる国道19号と交わり、19号を南西に進むと名古屋、北東に進むと松本を経て長野に至る。そんな20号終点の中央分離帯には、<20 終点 END>の看板が立っていた。ここから、新たなステージに踏み込む。松本まで19号&篠ノ井線沿いに進み、その先はゴールの糸魚川まで147/148号&大糸線沿いを歩く予定だ。
駅前=町の中心である都会と違って、車社会の地方都市の中心部はロードサイドである。令和の塩尻の中心もまた、スーパーやホームセンターが並ぶ19号沿いで、松本まで"埼玉通り"を形成している。僕は、埼玉県あたりのロードサイドに象徴されるような、全国どこにでもある大型店が並ぶ国道沿いをそう呼んでいる。塩尻の"埼玉通り"が、本家埼玉と違うのは、少し裏道に入ればそば畑が広がるのどかな農村風景が見られることだ。そんな裏道にこそ、徒歩のスピードでしか味わえない旅情がある。
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