コラム

コロナ禍、ベルリン市民が懸念する旧東ドイツ監視社会の記憶

2020年07月07日(火)19時10分

長い間、各国の政府や警察は、このCSLIを欲してきた。裁判所はCSLIの処理方法について懸念を表明し、さまざまな国から、データ保護のための裁判所の決定があった。一部の裁判所は、法執行機関がCSLIを取得するには、原因に基づく令状が必要であると裁定した。CSLIを懸念する根拠は明快だった。CSLIから取得できる情報は、親密なプライバシーと結びついているからである。誰が妊娠中絶クリニックに行ったのか、ゲイの常連客を対象としたバーに誰が行ったのか、または特定の政治イベントに誰が参加したかなどを追跡することが可能なのだ。

すべてのスマホには、全地球測位システム(GPS)と連動するGPSチップも内蔵されている。つまり、CSLIに加え、GPSによる正確な位置情報追跡も可能となる。これにより、スマホ・メーカー、および地図アプリなどの多くのアプリ開発企業が、CSLIとは無関係に詳細な位置情報を追跡できるのだ。

パンデミックとプライバシー

現在、私たちは健康情報に関する法律、公衆衛生、緊急事態、およびデジタル監視に関する法律が、絡み合い、衝突している複雑な世界にいる。デジタル監視の複数の手段を行使することで、中国や米国などは、市民の監視を大幅に拡大している。

パンデミック最中の米国では、警察の残虐行為、ジョージ・フロイドの死、そして人種差別をめぐって、歴史的規模の市民抗議活動が相次いでいる。この衝突により、ミネソタ州警察は、抗議者が誰で、どこから来たかを知るために接触者追跡技術を使用していると発表した。ミネソタ州は、COVID-19に感染した人を特定し、接触者の追跡を行うのではなく、デモの抗議者とその写真を特定するために追跡技術を使用した。

公衆衛生上の接触者追跡技術が、デモの参加者の特定に使われた。これらはまったく異なる目的である。旧東ドイツのシュタージと同じ手法が、現代の民主社会でも大手を振って実行されていることは、極めて憂慮すべき事態である。

ドイツの挑戦

COVID-19の猛威と戦うためには、接触者追跡技術が必要である。これは適切かつ、公衆衛生を保護するためにのみ用いるべきである。「民主的な監視」の考え方について、欧州連合(EU)では、政府やデジタル技術企業によるデータ独占を排除し、個人のプライバシーを積極的に保護する効果的で透明なツールの開発に焦点をあててきた。個人情報を他の目的で利用することなく、公衆衛生活動を支援するための方法が求められている。

ドイツ連邦政府は、2020年6月16日、公式アプリ「Corona-Warn-App(コロナ追跡アプリ)」をリリースした。このアプリは、プライバシーを保護する理念に基づき、完全にオープンソースで、アップルとグーグルの互いに異なるOSを相互につなぎ、両社の垣根を超えて機能する「Bluetooth(ブルートゥース)」を採用した。ブルートゥースとは、デジタル機器の近距離間データ通信を可能とする無線通信技術の1つである。

ドイツ政府がアップルとグーグルと連携するという異例の追跡アプリは、GPSなどの位置情報データではなく、ブルートゥースのみを使用して、近くのスマホから匿名データを収集する。アプリをインストールした複数のユーザーが約2メートルの距離で互いに近づき、15分以上その距離に留まると、アプリはブルートゥースを介してデータを交換する。

あるユーザーがCovid-19の検査で陽性を示した場合、ユーザーは検査結果をアプリに自発的に登録する。追跡アプリは、感染者と接触した人に匿名で通知し、通知を受けた人は、保健局の検査を即座に受けることができる。データはユーザーのスマホに2週間だけ保存され、当局や第三者によるデータへのアクセスを防ぐことができる。リリースから24時間だけで、ドイツ国民の640万人がこのアプリをダウンロードし、2020年7月3日時点で1,460万に増加している。

ドイツの人口は8,300万人、そのうちの約20%がこのアプリを実装している。しかし、少なくともスマホを保有している人のすべてが、こうしたアプリを実装し、アプリに同意した母数の拡大がなければ、接触者追跡の真の効果は期待できない。今後数ヶ月の内に、アップルとグーグルは、互いのOSに接触者追跡アプリを標準化する意向を表明している。

プライバシーとデータに関して、今から学ぶべきことはたくさんある。個人データの扱いをあらゆる目的に拡大すれば、データの暴走は避けられない。財務データは一連の法律によって保護され、健康データは、別の法律によって保護されている。これらが本当に機能するためには、データを別の方法で処理しないという大前提が必要なのだ。

データ・プライバシーが基本的な人権であることを認識する時が来ている。これには、2018年にEUが世界に先駆けて制定した「一般データ保護規則(GDPR)」のような、各国におけるプライバシー保護法制の進化が必要だ。それが実現しなければ、最も脆弱な人々がプライバシーの被害を受け続け、私たちのプライバシー権は踏みにじられることになる。パンデミックの時代、ベルリンの憂鬱が、世界の憂鬱にならないためにも、デジタル監視社会の暴走を抑止する「民主的な監視」が求められている。

プロフィール

武邑光裕

メディア美学者、「武邑塾」塾長。Center for the Study of Digital Lifeフェロー。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。インターネットの黎明期から現代のソーシャルメディア、AIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。著書『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。このほか『さよならインターネット GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、『ベルリン・都市・未来』(太田出版)などがある。新著は『プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明』(黒鳥社)。現在ベルリン在住。

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