コラム

テロもフェイクニュースも影響が限られたフランス大統領選

2017年05月10日(水)16時30分

さらに、アメリカ大統領選やイギリスのEU離脱の国民投票でも問題になったフェイクニュースも今回のフランス大統領選では多く見られた。マクロン候補に関しては「バハマ諸島に海外口座がある」(ルペン候補が討論会でこのことを示唆し、マクロン陣営は裁判所に訴えた)や「サウジアラビアから支援を受けている」、「米国の銀行業界の代理人」といったフェイクニュースがばらまかれた。しかし、アメリカで大きな話題になったフェイクニュースも、フランス大統領選では大きな衝撃とはならず、かなり早い段階でフェイクであると報じられ、また有権者の投票行動に大きく影響したとも思えないほど希釈化されたと思われる。

なぜ影響が限られていたのか

テロ、ハッキング、フェイクニュースはいずれもアメリカ大統領選で大きな話題となり注目を集めるテーマであったが、フランス大統領選で大きな影響を与えたとは言い難い状況であった。それはなぜなのであろうか。

単純に「フランスは市民社会における政治意識がアメリカのそれよりもはっきりしており、候補者を選ぶに際して、そうした外部からの情報に左右されない」という評価をすることも可能である。フランスの民主政治の伝統と歴史からみれば、またフランスにおける個人主義的な意思決定の仕組みや市民社会の強靭さから見れば、こうした結論を導くことも不可能ではないだろう。しかし、ことはそれほど単純ではないように思える。

テロ事件はなぜ影響しなかったのか

まずテロに関してだが、2015年1月のシャルリー・エブドの襲撃事件以来、フランスは断続的にテロの脅威にさらされており、2015年11月のパリ同時多発テロ事件、2016年7月のニーストラックテロ事件、そして大統領選挙直前の2017年4月のパリ警官銃撃事件など、コンスタントにテロが勃発する状況にあった。政府は非常事態宣言を継続し、現在も非常事態宣言の下で大統領選挙が行われたわけだが、既にテロを阻止するために出来る限りのことは行われており、政府の瑕疵を問うような議論はあまり大きくはなされていなかった。

ルペン候補もテロの問題は移民問題に引き付けて主張していたが、テロを防ぐために移民を排斥せよ、といった論理の展開は管見の限り、あまり見かけなかった。むしろ、ルペン候補の主張は、日々の生活に忍び込んでくるイスラム教の価値観や生活習慣がフランスのフランスらしさを失わせている、ということに対する危機感であり、雇用や経済の問題とともにアイデンティティの問題として取り上げることが多かったという印象が強い。ルペン候補が掲げた144の公約のうち、テロ対策は5つしかなく、公約全体を俯瞰する前文にもテロの問題は含まれていない。

つまり、日本やアメリカから見ていると、フランスにおけるテロは大きな問題であり、トランプ大統領もツイートした通り、選挙結果に大きな影響を与えるものと考えがちである。もちろんフランスでもテロ対策は大きな課題ではあるが、それは数多くの課題の一つとなっており、それだけが突出して選挙結果を動かす要因にはなっていないということが言える。その意味で、9.11の衝撃が政治のあり方を大きく変えたアメリカの状況やイメージとは異なる政治の姿がフランスにはある、と理解したほうが良さそうである。

プロフィール

鈴木一人

北海道大学公共政策大学院教授。長野県生まれ。英サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大大学院准教授などを経て2008年、北海道大学公共政策大学院准教授に。2011年から教授。2012年米プリンストン大学客員研究員、2013年から15年には国連安保理イラン制裁専門家パネルの委員を務めた。『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(共編者、日本経済評論社、2012年)『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(編者、岩波書店、2015年)など。

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