ロシアに翻弄される漁業の町、根室に再び試練 サケ・マス交渉、さらにサンマ漁にも暗雲が
根室港に戻ってきた漁船と水揚げされたホタテ REUTERS/Daniel Leussink
飯作鶴幸さん(79)は高校を卒業して間もないころ、旧ソ連の収容所に1年近く抑留された。旧ソ連が実効支配し、日本も領有権を主張する北方領土(ロシア名:クリル諸島)周辺でタラ漁をしていて拿捕された。
生まれ故郷の色丹島に連行された飯作さんは、サハリンの収容所へ送られ、石灰石を採掘する労働をしながら成人を迎えた。1963年9月、北海道根室市へ戻った。
それから約60年、ソ連が崩壊してロシアとなった今も、漁業を営む飯作さんはモスクワの動きに気をもんでいる。ウクライナ情勢を巡って日本とロシアの関係が冷え込み、毎年この時期に開かれる漁業交渉の行方が定まらないためだ。
霧の立ち込める4月12日の寒い朝、根室の歯舞港には数隻の漁船が陸揚げされたまま留め置かれていた。例年なら家族に見送られ、サケ・マスの流し網漁へ出ているころだが、漁獲量など操業条件を巡る交渉がロシアとの間で妥結しておらず、出漁できずにいる。
「戦後、ロシアと色々な問題があっても漁業関係だけはずっと続いてきた。こんなことは今までない」と、飯作さんは言う。
日本とロシアが毎年行う漁業交渉は4つあり、アムール川へ戻るサケ・マスを日本の200カイリ水域で捕るための協議がトップバッターだ。歯舞群島にある貝殻島のコンブ漁、ロシア水域で操業するサンマ漁など、残る交渉に影響を及ぼす可能性があり、水産業関係者は行方を注目している。
日ロ両政府は例年の漁解禁日から1日経った4月11日にようやく協議を始めたが、15日時点で合意に至っていない。金子原二郎農相はこの日の参院本会議で、「日本の漁業関係者が受け入れ可能な操業条件が確保されるようにしっかり交渉したい」と述べた。
あちこちにロシア語の看板
第2次世界大戦終結前の根室は北方4島と一体で、戦後にロシアが実効支配するようになってからもこの海域を通じて生計を立てている人が多い。海産物の加工業なども合わせると、就労者の約4割が水産業に従事している。
ロシアはあらゆる面で身近な存在で、いたるところにロシア語の看板が立っている。ロシアが先日国後島で軍事演習を行った際は市内から火花が見え、揺れを感じたという。漁港には今もロシアの漁船がウニを運んでくる。ロシアの動向は街の経済と市民の生活を直撃する。