沖縄の風俗街は「沖縄の恥部」なのか?
ひたすら声を聞き取ることに徹しているからこそ、あとがきにあるように夜の世界の人たちは「どこの馬の骨かわからないヤマトンチュの中年ライターのぶしつけな問いに丁寧に答えてくれた」のだろう。
歴史に埋もれてきた声を受け取るべきはヤマトの人間
同書は沖縄の風俗街の歴史本ではない。特飲街が生まれては廃れていくさまを通して、沖縄の女性がアメリカの、ヤマトの、そして同胞の男たちにいかに翻弄されてきたかを描きだしている。
翻弄されたのは、売春で生活する女性も、嫌悪し浄化に励んだ女性も変わらない。もし地上戦がなかったら。アメリカに占領されなかったら。基地を押し付けられることがなかったら。それぞれに違った生き方があったかもしれないからだ。
また真栄原新町やコザ吉原が壊滅した今も、辻の風俗店は営業している。性を売る場所自体が消えたわけではないし、2016年にも米軍関係者により女性が襲われ、命を奪われる事件が起きている。今もなお沖縄の女性は、翻弄され続けているのだ。
藤井さんは巻末で「沖縄の読者のなかには、この本を『沖縄の恥部をヤマトの人間が暴いた』と嫌悪する方も少なからずおられると思う」と語っている。確かにこれまで沖縄の特飲街は、興味本位の風俗レポート以外で語られることはほとんどなかったように思える。しかしそれを「恥部」と呼ぶなら、どうして「恥」が生まれたのかを、ヤマトの人間は考える必要がある。
同時に、「まぎれもなく売春街で生き抜いてきた人々の生活と人生が存在し、それは沖縄の戦後史の一部を形成してきた」「『沖縄アンダーグラウンド』を生きた無数の人々の声を埋もれさせてはならないと思うのだ」とも記している。
確かにその街で生きていた。しかしその姿は事件でも起きない限り、これまでほとんど顧みられることはなかった。いわば歴史に埋もれてきた女性たちだが、その声を受け取るべきは、一体誰なのか。それは紛れもなく、ヤマトの人間たちなのだ。
『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』
藤井誠二 著
講談社
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