沖縄の風俗街は「沖縄の恥部」なのか?
終戦後アメリカの占領統治下に置かれた沖縄では、米兵相手に売春を始める戦争未亡人が急増した。一方で占領米軍によって、多くの女性がレイプの危機に晒された。野戦病院内で襲われたり、拉致されて行方不明になったり、凌辱の末に殺された女性もいることがわかっている。1955年には嘉手納村(現在の嘉手納町)では6歳の少女が強姦され、惨殺される事件も起きた。
現在は内地の観光客がおもな相手だが、かつては生活を守るため、子どもや女性を性暴力から守るための、特飲街はいわば「性の防波堤」だったのだ。
しかし同書によると、1995年に起きた小学生暴行事件の加害者の米兵たちは、「売春街に行こうか」「あそこは薄暗くて汚くて、自分の貧しい子ども時代を思い出すから嫌だ」と語っていたという。
特飲街があってもレイプ事件は起こっている。また性病が蔓延して客が寄り付かなくなる店や、米兵の相手は負担が大きいとして、日本人男性のみを相手にする女性も多かった。特飲街は、防波堤の役割を果たしきれるものではなかったのだ。
生きてくために売春することの何が悪いか
女性の性を奪うことで生を与えてきた特飲街だが、真栄原新町もコザ吉原も、現在はほぼ壊滅している。2010年以降、宜野湾市は沖縄県警とともに、青少年の健全育成のために真栄原新町の違法風俗店の摘発を進めたからだ。
街の入口に検問を張り、訪れる人たちを職務質問するなどして、客を寄せ付けないようにした。店側には税務署が売り上げに課税し、経営を圧迫した。ほぼ同じタイミングで、コザでも取り締まりが始まった。いずれも「浄化」運動が功を奏し、買春目的で訪れる男たちは消えた。
一連の流れを見てきた藤井さんに対し、真栄原新町の運動を推進した女性団体の副会長(当時)は、「女性として、売春することは許せないと思ったんです。女の武器を利用してやっているのは、私は一人の女として許せないし、それを弄んでいる男も許せません」と同書で答えている。それを聞いた藤井さんは
どうして、許せないと言うのだろうか? それは侮蔑なのか。人生観の押しつけなのか。真っ当な生き方へと救済したいと思っているのか。
と、疑問を抑えきれない。そして1960年頃から売春を続け、現在はアパートで1人暮らしをする87歳の女性による「生きてくために売春することの何が悪いか」のメモ書きを見て絶句する。
しかし藤井さんは決して、売春を「生きるための必要悪」として片付けることをしない。その是非を問うたり、特殊な仕事のように扱うこともない。ましてや賛美もない。