いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く5 (スラムの真ん中で)
武器の種類の多さがヤバい(スマホ撮影)
<「国境なき医師団」の取材で、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。首都ポルトー・フランスのコーディネーションオフィスで、ハイチという国の成り立ちと苦難の歴史のレクチャーを受け、ハイチに対する考えを新たにし、そして本格的な取材が始まった...>
これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 1、2、3、4」
マルティッサンへ
マルティッサン救急・容態安定化センターは、まさに前日モハメドから聞いた治安の悪い地区の中にあった。危険度については日本外務省のページにもハイチの「3大スラム街」のひとつと明記されているし、「ギャング同士の銃撃戦」が発生していると注意が喚起されている。
コンテナ・ホスピタルから移動する途中も、ずいぶんテントが密集する区画を通り、あらゆるものが売られているらしき凄まじい人ごみと、そこからもうもうと立ち上る白い煙と埃を見たのだが、リシャーによればそこは「かつて奴隷たちが売買されていた市場」だったのだそうで、もちろん身分はとっくに解放されたのであれ、今も貧しい人たちが大勢集まって自分たちの市場としてにぎわっている、いや騒然としているのだった。
我々は首都ポルトー・プランスの港側へ近づいていたのだと思う。そこが全域立ち入ってはいけない場所だと聞いていたし、四駆の中では「ポルトー・プランスとは王子様の港という意味で、18世紀初頭にこの地に現れたプランス号の船長がそう名づけた」という由来をリシャーが話していた記憶があるから。
30分ほどで車は白い壁の前に着いた。壁には赤いペンキで『国境なき医師団』と書かれ、さらに大きな「小銃の絵とバツ印」が描かれていた。MSFは武器を持っていない、と主張するためだろうかと不思議に思いながら四駆を降りて、開いた鉄扉の中に素早く入ったが、あとから谷口さんに「病院内に入るなら武器を携帯してはならない」というサインだと聞いた。
どのような勢力であれ、『国境なき医師団』は医療を拒まない。だからこそ、どのような勢力であれ武器は放棄せねばならない。そのことは以前にも書いた。院内での対立は絶対にあってはならないからだ。患者や医師たちが紛争に巻き込まれることになってしまう。
ただ、その救急・容態安定化センターの場合は少し事情が違った。武器を持つ者のほとんどは政治勢力でなく、ギャングだからである。ただし、その時点で俺は何も考えておらず、周囲に急がされるまま、かなりのんきな感じで鉄条網に守られた壁の中に入ったのである。事実、メモには「にぎやかなところだ」と実に無自覚な言葉が書いてある。
修羅場で医療する
我々をここで迎えたのはデルフィネ・アグヤナというフランス人女性だった。落ち着いた雰囲気の彼女が、そのかなり緊迫した病院をOCBの管轄下で運営しているプロジェクト・コーディネーターとのことだった。あとから聞いた話だが、マフィアの抗争が絶えない地域で無料医療を行っているとなれば、修羅場は常にある。それを日々切り抜けているスタッフにはしかし、まるでそれを予感させない柔らかさが備わっていた。
その救急・容態安定化センターで、彼らは一年に六万人の患者を看ているそうだった。もちろん無料で。コンテナ・ホスピタルからすれば面積はさほど広くないから、20人だというスタッフはさらにてんてこまいに違いなかった(うち、外国人派遣スタッフは6人)。
施設はコンクリ、机や椅子は木で出来ていた。なんだか子供の頃に見た小さな医院のようだった。内部を見せてもらいながら、俺はデルフィネさんから「現在、ハイチ保健省と合同で運営する72床の病院を作ろうとしている」と聞いた。国の予算も合わせられれば、もっと有効な医療が出来るだろうとのことだった。
「僕らも子供のために、それが早く出来てくれればと思う」
後ろでダーンがそうデルフィネさんに言った。
「自分たちの施設だけで未熟児を看ているのにはもう限界があるから」