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いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く5 (スラムの真ん中で)

2016年6月22日(水)18時00分
いとうせいこう

 前回書いた乳幼児の病床不足を、ダーンは再び強調した。菊地紘子さんもシリアスな表情でデルフィネさんを見上げ、何度もうなずいていた。最初の日にポール校長から聞いた「震災直後とは違って、我々MSFは他の団体とは異なる働きをすべきだと思う」という考えのひとつがそうした合同作業への呼びかけにつながるのかもしれなかった。国が被災者や、その後生まれた患者の面倒を看るよう、MSFがバックアップするのだ。

 そして、やがて彼らは撤退し、ハイチ政府自身が国民の医療をすべて担う。MSFの究極の願いがそうであることを、俺はのちの取材でも耳にした。

 話題にあがった小児科の診察室にも我々は入った。週末なのでちょうど人がはけたところだと言って、ハイチ人医師フェネルス・ジャン・マルクが木の椅子に座ったまま、にこやかに我々を出迎えた。狭い一室だった。途端にダーン、菊地さん、デルフィネさんたちがフランス語で何かしゃべり出した。小児のケアのことだろうと思われた。あらゆる機会に彼らはディスカッションするのだった。

 他に放射線室を見て、ハイチ人スタッフで整形外科医のエマニュエル・ディアフール医師とカゾ・ジョリエット技師に挨拶をし、続いて外傷を看る部屋でデルフィネさんから「一日に銃傷患者は3人」というとんでもない数字を聞いてようやく俺は場所の危険性を認識し始め(一体どれだけの抗争が周囲で起こっているというのだろう)、実際タンカに乗せて運び込まれてきたパンツ一枚のハイチ人青年の体をしげしげ見ることにもなった(どこを撃たれたのだろうか、とつい......)。

 紘子さんがその時にデルフィネさんから聞いてくれた話によると、「銃傷患者を看たスタッフがリストアップされ、あとで心理ケアを受けることもかつてはあった」そうだ。俺ではとても気づかない質問を紘子さんはしていたのだろう。つまり、ショックは患者だけでなく、医療側にもあるのでは?と。

 「私のいる産科救急センターでは思いもよらない危険がここにはあります」
 紘子さんはそう言い、回りのスタッフに尊敬のまなざしをむけたものだ。

 実際、回復室という、手術後の患者が休む部屋の中でデルフィネさんからこんな笑い話も聞いた。つい数日前のことだが、警察が外傷のある患者を運び込んできたそうで、それがギャングだったので治療後すぐに逃げ出して捕物になり、登った屋根が抜け落ちて再度逮捕されたのだという。

 デルフィネさんは「早く屋根を直さなきゃ」と言ってシニカルな笑顔になったが、聞いているこっちは応急処置の天井を見やりながら、医療だけでない問題に日々対応しているスタッフの気苦労を思うばかりだった。

 小児の経過観察のための、9床の部屋にも我々は入った。現地スタッフの女性看護師が2人いて、確かベッドには3組の母子がいたと思う。看護師が集まっている机の上に、大きなカルテ帳のような本があり、彼女らはそれをめくって中を見せてくれた。むろん俺が読めるはずもなく、紘子さんにかいつまんでもらった。

 「貧血、肺炎、栄養失調、髄膜炎などが多いですね」
 部屋は静かだった。生後五ヶ月だというアリーシャという女の子が、母親の膝の上で点滴を受けていた。

コレラ病棟(テント)

 いったん病院のメインの施設を出ると、「PANSMAN」(ハイチのクレオール語で「包帯」)と看板のある別棟があり、まさに包帯をあちこちに巻いた患者たちが木の椅子に座って並んでいた。棟の中にはふたつのベッドがあって、そこで一日平均50人の患者が包帯を変えたり、抜糸をしたりするのだそうだった。

 患者たちは一様に寡黙だった。これは他の施設でも同じで、外国人の俺たちを警戒しているのか、決して街の中のようにはしゃべらないのだ。MSFで診察してもらっていること自体に、何か遠慮のような気遣いがあるのかもしれなかった。

 また、灰色の大きなテントにも我々は入った。まず入り口に座った係の女性がポンプにつながったノズルを持って、我々一人ずつの靴の裏に白濁した消毒液をかけた。出入りには各一回ずつ、そうやって消毒が必要だった。

 中には土の上にずらりと簡易ベッドが並べられていた。それがコレラ病棟だった。乾季の終わりにはまだ数人の患者しかいないとのことで、しかも病棟に彼らはいなかったが、雨季になって12月のピークを迎えるとそこに3、40人が常にひしめくとのことだった。

 ベッドのお尻が当たるところに穴が開いていた。そこから直接下痢の便を出してもらうのだそうで、幾つかのベッドの穴の下にはバケツが設置されていた。「コレラは尋常でない下痢になりますので」と谷口さんが教えてくれた。

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 さらに教わったところによると、大地震からの5年間に70万人以上の人を苦しめたコレラは(死者はおよそ9000人)、もともとハイチに存在した病気ではなかった。2010年の大地震の際、救助に来た外国人からもたらされて感染が拡大してしまったのだ。皮肉といえば、それほど皮肉なこともなかった(MSFがその感染源だったわけではないのに、彼らは入院した42万人の半数を治療した)。

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