いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く5 (スラムの真ん中で)
また、もし妊婦がコレラに感染していた場合が難しく、隔離をしながら医師の判断で帝王切開か自然分娩かを決める。責任重大かつ繊細な観察と高い技術の必要な医療のひとつだろう。
まだ患者の少ないテントから、ピーク時の緊張を想像するのはなかなか困難だった。けれども、ベッドが埋まり、さらに患者が駆け込み、誰もが際限なく下痢をし、高熱にさいなまれるとすれば、スタッフは昼夜を徹して救護を行い、しかし施設の外の街にゴミが浮き、汚水が流れている現実の前に力を落とすに違いない。構造から国自体を変えなければ、患者は減らないのだから。
そして治安の関係で、夕方には病院を出て宿舎に帰らざるを得ないのだ。
我々は最後に屋根だけがある広い受付で、たくさんの木製ベンチに座っているハイチ市民が風に吹かれながら辛抱強く順番を待つのを見た。どうやら輸血の呼びかけらしい絵が壁にかけてあって、その素朴さに心ひかれながら考えてみれば、ハイチの識字率が低いのだった。それで病院からの訴えが絵になる。
確かに野外のトイレにも、とても味のある訴求力の高い絵があったのを俺は思い出した。
それを写真に撮りに行き、帰ってくると出かける時間になっていた。我々はダーンや紘子さんと別れ、宿舎に帰って昼食をとることになった。どうやらデルフィネさんも別な四駆に乗って自分の宿舎に戻るのがわかった。
つまり彼女はわざわざ休みの日に、俺の取材のため出てきてくれていたのだ。
パーティに招待される
夕方から、私たちの宿舎にいらっしゃいませんか?
マルティッサンでの別れ際に紘子さんがそう言った。
街の中のチカイヌという地域にある宿舎で、週末の屋上パーティがあるというのだった。
いかにも気楽なように見えるが、催すのも派遣スタッフ、出席するのも派遣スタッフ。つまりそれが彼らのストレスマネージメントのひとつなのだ、とわかった。
一体どんな宴を、彼らは開くのか。
興味を持って出かけることにして本当によかった、と今つくづく思う。
俺はそこで各国からの MSFスタッフに一気に会い、話をし、何が彼らを突き動かしているのかを知ることになるのだから。
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。