【再録】タランティーノvs.本誌「辛口」映画担当の舌戦
日本の時代劇などへのオマージュに満ちた『キル・ビル Vol. 1』の公開時、本誌の映画担当記者がぶつけた率直な意見にタランティーノは……
鬼才、吠える 94年の『パルプ・フィクション』や97年の『ジャッキー・ブラウン』で高く評価されたクエンティン・タランティーノは、お得意の暴力描写とマニアックな映画への愛に満ちた『キル・ビル Vol. 1』を発表。辛口で知られたデービッド・アンセンに対して、「ご説ごもっとも」「はい、はい。そうですかい」「そんなことはまったくない」などと反撃した(2007年撮影) Eric Gaillard-REUTERS
ニューズウィーク日本版 創刊30周年 ウェブ特別企画
1986年に創刊した「ニューズウィーク日本版」はこれまで、政治、経済から映画、アート、スポーツまで、さまざまな人物に話を聞いてきました。このたび創刊30周年の特別企画として、過去に掲載したインタビュー記事の中から厳選した8本を再録します(貴重な取材を勝ち取った記者の回顧録もいくつか掲載)。 ※記事中の肩書はすべて当時のもの。
[インタビューの初出:2003年10月22日号]
夫やおなかの子を殺された花嫁のザ・ブライド(ユマ・サーマン)が、たった一人で復讐に乗り出す――お得意の暴力描写とマニアックな映画(とくに日本の時代劇)へのオマージュに満ちた『キル・ビル』は、クエンティン・タランティーノの久々の監督作品だった。2部作品となった『キル・ビル』の第1部公開時に、本誌映画担当デービッド・アンセンが率直な意見をぶつけた。
――では、まず映画の冒頭から。オープニングで「クエンティン・タランティーノ監督第4作」という文字が映し出される。こういうことは過去に例がないのでは?
だろうね。
――あれは笑えたけど、心配にもなった。監督が自分を神格化しているような感じがしてしまう。
(笑いながら)そうかもね。
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――でも、映画そのものはとてもよかった。いろいろな映画のスタイルを取り入れている。
(撮影監督の)ボブ・リチャードソンには、「10分ごとに別々の映画みたいにしてくれ」と言っておいた。ある場面は往年のマカロニウエスタン風、別の場面は『座頭市』のような時代劇風、また別の場面はカンフー映画風、という具合にしたかったんだ。
映画に統一感をもたせるために一つのスタイルで貫くという必要性は感じなかった。
――「おいしいところ取り」をねらったということ?
そう、そう、そうなんだ。それは、僕の映画作りの哲学と言ってもいい。くだらないクズは切り捨てて、いいところだけ拾えばいい。何百万回も見せられたようなゴミはもういらない。
――といっても、その「いいところ」も、見覚えのあるものの再利用であることに変わりはない。
はい、はい、おっしゃるとおりです。でも、リサイクルするときにひねりを加えている。僕の視点で撮る以上、必然的に他に二つとないものになる。
――暴力表現に話題を移そう。私はこの映画の暴力描写を不快に感じていない。様式美が追求されているからだ。とはいえ、作品の中では大量の血が飛び散る。吹き出す血潮がモチーフと言ってもいい。
日本映画の伝統なんだ。日本人は、園芸用のホースみたいな太い血管をもってるんだ(笑)。
――いちばんすさまじいと思ったのは、病院の場面。見ていて、思わず座席から跳び上がりそうになった。意識を取り戻したザ・ブライドが、それまで看護師が男たちから金を取って植物状態の彼女とセックスをさせていたと知り、看護師の頭を繰り返し鉄の扉にガンガン打ちつける。
このほうが、人の腕を切り落とすよりバイオレントだからね。現実味があるぶん怖い。
いつも言っていることだけど、映画の中で誰かの首が切り落とされても、僕はぞっとしない。紙の端で指先を切って血が出るシーンのほうがよっぽど怖い。
――この病院の暴力シーンは『パルプ・フィクション』でサディストが登場人物をいたぶる場面を連想させる。
確か、あなたはあの場面が気に食わないと言っていたね。「本当の悪を描こうとしたこの場面だけは、薄っぺらで月並みな描写になってしまっている」というような文章で酷評していた。
――私よりよく覚えている。
(笑いながら)ああ、そういうタチなもんでね。
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――アクションシーンの話をしよう。この作品には、いくつか素晴らしいアクションシーンがある。終盤で、ユマ・サーマンが片っ端から敵をなぎ倒していく。この「青葉屋」の場面の最大の見せ場は、女子高校生用心棒のGOGO夕張(栗山千明)との対決だと思う。
ご説ごもっとも。僕もそう思うよ(笑)。