【再録】マイケル・ジョーダンの思春期、ビジネス、音楽趣味......
「女の子にもてなかった」「自分の足跡を残したい」「ラップは聴かない」など、大リーグ転向から復帰後、バスケの神様が単独取材で語った私生活
まさに「神」だった マイケル・ジョーダンはNBAで3連覇を成し遂げ、引退して大リーグに挑戦し、古巣に復帰してさらに2度優勝。その後、また引退、2度目の現役復帰、3度目の引退と経験していくが、一方でナイキと組んだ「ジョーダン」ブランドが大成功するなど多方面で活躍した(シカゴ・ブルズ時代、1992年撮影) Gary Hershorn-REUTERS
ニューズウィーク日本版 創刊30周年 ウェブ特別企画
1986年に創刊した「ニューズウィーク日本版」はこれまで、政治、経済から映画、アート、スポーツまで、さまざまな人物に話を聞いてきました。このたび創刊30周年の特別企画として、過去に掲載したインタビュー記事の中から厳選した8本を再録します(貴重な取材を勝ち取った記者の回顧録もいくつか掲載)。 ※記事中の肩書はすべて当時のもの。
※このインタビューを行った記者の回顧録はこちら:【再録】マイケル・ジョーダンは私を抱きしめて言った
[インタビューの初出:1997年10月1日号]
NBA(全米プロバスケットボール協会)のシカゴ・ブルズで3連覇を成し遂げた後、突如引退して大リーグに挑戦。1年半後に古巣に戻ると、さらに優勝2回――マイケル・ジョーダンは、まさに「神」だった。
97年、アパレルなどを扱う「ジョーダン」ブランドをナイキと共同で設立すると発表したジョーダンに、本誌アリソン・サミュエルズが話を聞いた(記者の回顧録はこちら)。葉巻をくゆらせながら独占インタビューに応じたジョーダンは、このシーズンもチームを優勝に導き、シーズン終了後に2度目の引退を発表した。
■ジョーダン・ブランドについて
「エアジョーダン」が成功していたから、これを始めるのは自然の成り行きだった。引退後もバスケットやファンとかかわり続けられるようなことに取り組みたかった。
でも監督や解説者など、ありきたりな仕事は嫌だった。コートのそばにいなくても自分の足跡を残せることをしたかった。
■製品とのかかわりについて
ナイキのデザインチームは、よく私の家に来る。しばらく議論してから、私の車を見たり、クロゼットをのぞいて、私という人間をよく知ろうとする。その結果を製品に反映させる。やりがいはあるが、てんてこ舞いの忙しさだ。
■「エアジョーダン」の価格(150ドル)が高いという声について
気になった。子供たちには「どうしてそんなに高いの?」と聞かれるし、親たちからもたくさん電話をもらった。今では、いろんな価格帯からシューズを選んでもらえるはずだ。
■引退について
その話はシーズンが始まったら考える。まだ引退するつもりはない。でも、去るべきときだと思ったら、きれいに去る。大丈夫だ。
■引退後の生活について
(野球に転向して)NBAを1年半離れたとき、自分の時間とはどういうものかわかった。バスケット以外の時間の使い方を知った。
■今シーズンのブルズについて
手ごわい相手は思い浮かばない。まだ何度か優勝する力はあるし、そうしてみせる。
■ニュージャージー・ネッツの選手ジェイソン・ウィリアムズが、ジョーダンの「ナイスガイ」イメージはまやかしであり、本当は「敵意むきだし」でプレーすると語ったことについて
(ばかばかしいと言いたげに笑って)確かに負けず嫌いだが、「敵意むきだし」ということは絶対にない。本当に怒るようなことがあれば「敵意」ももつだろうが、今までそうなったためしがない。
きっと南部でのんびり育ったからだと思う。祖父母によく言われたものだ。「行動する前に考えろ。自制心を忘れるな」と。いつも肝に銘じている。