母の死の悲しみを癒してくれた韓国料理──注目シンガー、ミシェル・ザウナー
Comfort Food
母親の死を経て新作で新境地を見せたザウナー COURTESY OF MICHELLE ZAUNER
<シンガーソングライターのミシェル・ザウナーが、食の記憶に絡めて喪失の悲しみと半生をつづった>
キムチ、チゲ、松の実のおかゆ、サムギョプサルにのり巻きのキンパ。
シンガーソングライターのミシェル・ザウナー(32)は、韓国出身の母チョンミの手料理を今も鮮明に覚えている。
ザウナー家において、料理は単に文化を守るためのものではなく母の愛の証しだった。娘が大学からオレゴン州ユージーンの実家に戻るたび、チョンミは腕によりをかけてごちそうを作った。
「母といえばカルビの焼き肉」と言うザウナーは、現在ニューヨークに暮らす。
「帰省の2、3日前には肉をたれに漬け込んだ。キムチは2種類買ってきてくれた。ごま油を垂らし唐辛子を添えて、漬け汁ごと食べる大根の水キムチ。それと、小ぶりな大根で作るとっても酸っぱくて辛いキムチ。帰るまでご飯は我慢しなさいねと母が言うから、空港に着く頃にはおなかがぺこぺこ。家に着いた私の前に、母は焼き肉やキムチを並べてくれた。そんな母の味を、私を大切に思う気持ちを料理で表してくれたことを、私はいつまでも忘れない」
チョンミは2014年10月18日に膵臓癌で死去。まだ56歳の若さだった。
母の死と前後してザウナーはソロプロジェクト「ジャパニーズ・ブレックファスト」を立ち上げ、16年に『サイコポンプ』、17年には『ソフト・サウンズ・フロム・アナザー・プラネット』と2枚のアルバムを発表した。どちらもテーマは喪失の悲しみだ。
風変わりなプロジェクト名は「ある晩、木のお盆に完璧な焼き加減のサケと味噌汁とご飯が載った写真を見てひらめいた」と、ザウナーは言う。
子供時代の記憶と人生の節目
4月に米クノッフ社から出版された回想録『Hマートで泣きながら』にも6月に発売予定の新譜『ジュビリー』にも、母の思い出が込められている(タイトルの「Hマート」は全米展開の韓国系スーパーマーケットだ)。
ニューヨーカー誌に寄稿した18年のエッセーを基に、ザウナーは回想録を書き上げた。描かれるのは韓国生まれで主婦の母と白人ビジネスマンの父の下での子供時代の記憶と、さまざまな人生の節目だ。
母の親族が暮らすソウルで過ごした夏休み。10代で訪れたインディーロックとの出会い。母の死後、人気ユーチューバー、マンチの料理動画を参考に韓国料理を作ることで、癒えていった悲しみ──。
「病気になる前の元気な母の思い出をよみがえらせ、私が体験した癒やしのプロセスを記録しておきたかった」と、ザウナーは執筆の動機を語る。