ジョン・レノン「ビートルズ後」の音色──解説:大江千里
SONGS AFTER THE BEATLES
『心の壁、愛の橋』(1974年)
ヨーコとの別居中に制作された作品。政治色が少なく、シニカルでロマンある詩人のジョンがよみがえる。そして、歌という虚構の世界で恋をなくした男を演じる天才も同時に。
全米チャート1位になった「真夜中を突っ走れ」では切れ味の鋭いミュージシャンが結集し、厚みのあるホーンも入り最高だ。この曲にゲストとして参加したエルトン・ジョンのハーモニーもご機嫌。やっぱり音楽は楽しくなくちゃ。
エレピの音とメジャー7コードをうまく使った異色の「果てしなき愛」は「restless spirits departs(落ち着かない魂が旅立つ)」という、俯瞰的で成熟した目線での作風に膝を打つ。生きるのが怖い、とにかくManage to survive(何とかして生き残る)にはDance to the music(音楽に合わせて踊る)しかない。理屈を超えた音楽の躍動感が、さらっとよみがえった印象だ。
全く言葉を乗せない「ビーフ・ジャーキー」がまたいい位置に置いてある。「ノーバディ・ラヴズ・ユー」の弦やブラスの入り方もうまい。ヨーコやフィル・スペクターに心で感謝しながらも、独り立ちの風通しの良さを楽しむ余裕さえある。ノンストップで100万回でも聴き続けたい傑作。ずっと追い掛けているものが見つからず背中を引っかいてみたり、気持ちが盛り上がってテンポが変わったり── 。俺は自由だと叫ばんばかりに、水のようにゴクゴクとアイデアを飲み干して、最高の一枚を作っている。
『ロックン・ロール』(1975年)
このカバーアルバムをジョンの8枚として加えるかどうか迷った。この作品は、ビートルズの「カム・トゥゲザー」がチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の盗作だとして、その版権を持つモリス・レビーに訴えられたことが発端で作られた。最終的には、レビーが版権を持つべン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」や、くだんの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」などをジョンが取り上げてカバーアルバムを作った。
俯瞰して見ることができるフィルをプロデューサーに立てたが、この時期は彼もジョンもプライベートで問題を抱えていて思うように制作が運ばず、揚げ句にフィルがマスターテープを持ち逃げしてレコーディングがストップした。そのあと戻ってきたマスターには使える曲が数曲だったので、ジョン自身がプロデュースして仕上げたといわれている。
ベリーを敬愛するジョンが「ユー・キャント・キャッチ・ミー」に影響を受けたのは分かる。しかし「カム・トゥゲザー」でリズムパートが繰り返すコード進行とメロディーには神がかったオリジナリティーがある。ジョンの「カム・トゥゲザー」が「ユー・キャント・キャッチ・ミー」にしか聞こえないアレンジになったのは世に問い掛けたのだと思う。
アルバムジャケットでジョンの前を横切っているのはポールやジョージらのビートルズメンバー。トラブルが奏功して生まれた考えさせられる名盤で、ウイットにも富む。
ジョンは想像以上にビジネスができる。この年は唯一のベスト盤も制作し、その後ヨーコとよりが戻り息子ショーンが生まれ、育休に入る。