ジョン・レノン「ビートルズ後」の音色──解説:大江千里
SONGS AFTER THE BEATLES
『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)
この作品では直接的な歌詞で人種問題や性差別問題、北アイルランド紛争やベトナム戦争の反戦運動を行っていた反体制活動家のジョン・シンクレアに関する曲を歌い上げている。裸踊りするニクソンと毛沢東の合成写真や、新聞的なデザインのジャケットが目を引く。このアルバムではニューヨークのローカルバンド、エレファンツメモリーがバックを務めた。
ジョンというよりはヨーコとジョンのアルバムで、ジョンのソロ時代の研究材料として非常に面白い。おそらくジョンは、ヨーコによって救われ彼女の存在を通して音楽家として蘇生している。反対にヨーコは音楽家としての欲求は高いけれど、ジョンをもってしても力に限界が見える。
ジョンはプラスティック・オノ・バンドでアルバムの通気性をよくして、ヨーコが世に認められるようにフォローアップするが、微妙な仕上がりが続く。確かに放送禁止用語まで使った「女は世界の奴隷か!」に見て取れる、時代を読む目や話題作りにおいてヨーコは天才だが、「シスターズ・オー・シスターズ」のように彼女が表に出過ぎると曲の稚拙さが浮き彫りになる。「アンジェラ」も共作だが、オルガンソロにジョンらしいクリシェが見え隠れして一瞬はホッとするがヨーコが出てくると音楽として成立しない。
政治的な問題への傾倒が激し過ぎた側面もあるが、ヨーコを音楽家として前へ出した失敗が大きく、チャートも振るわなかった。
『マインド・ゲームス』(1973年)
タイトル曲にも表れているように「平和主義」を貫く姿勢は変わらない。アルバムのリリース前にヨーコと架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言したジョン。アルバムの中にも無音が6秒間続く同国の国歌「ヌートピア国際賛歌」がある。しかしジョンは、アルバムが出来上がったかどうかのタイミングでヨーコと別離し、中国系女性と「失われた週末」と呼ばれる時期をロサンゼルスで過ごす。
前作『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』はヨーコ色が強過ぎた。音楽性を引き戻すために、マイケル・ブレッカー(サックス)やジム・ケルトナー(ドラムス)など、ニューヨーク名うての一流ミュージシャンが参加して軌道修正を行ったきらいがある。
僕の仮説だが、『マインド・ゲームス』は前に書き下ろした素材で、補作詞をする形で復活させたのではないか。「マインド・ゲームス」は平和を訴えるメッセージと、ヨーコとのボタンの掛け違いのダブルミーニングか。彼女に直接言えない思いを「あいすません」でひたすら謝り、「ユー・アー・ヒア」で「リバプールから東京へ会いに行きたい」と吐露する──。
よくまとまっているアルバムだが、シンガーソングライターとしてのジョンがぼやける。ヨーコを失う前後の混乱、嫉妬、平凡な男としてのジョンが暴れている。離れる前から「あ、ヨーコに戻る」と思う伏線が興味深い。『ダブル・ファンタジー』につながる導線として貴重な要チェックアルバムだ。