暴力団取材の第一人者、ABBAで涙腺崩壊──「ピアノでこの曲を弾きたい」
北海道ローカルのコンビニエンスストアであるセイコーマートはそれぞれの店舗で調理可能で、一部の弁当や総菜を『ホットシェフ』というブランドで提供している。ブラックアウトで工場や流通がストップし、食料の入荷が止まってもおにぎりなどは提供できるため、なんとか飯だけは食えた。
いちばんの障害は、ガソリンスタンドのほとんどが動いていないことだった。故郷ならばなんとかなると判断し、いったん生まれ育った札幌に避難することにした。燃料はギリギリでも、信号がすべて消えノンストップで走れるため、超低燃費走行が可能だった。千歳から札幌に向かう国道36号線は、弾丸道路と呼ばれたが、一般車が今回のような弾丸スピードで札幌に到着したのは初めてだったろう。
新千歳空港は完全に機能が停止し立ち入れない。JRも地下鉄もストップし、ホテルも店もすべてが閉まっている。市内ではホテルをチェック・アウトさせられ、途方にくれた観光客が街のあちこちに溢れていた。うつろな顔で街のあちこちを漂う姿は、『ウォーキング・デッド』を連想させた。
キャンプ用具を積んでいるので問題ないと思っていたが、どこも入場禁止で宿泊できない。ラジオは地元民のための情報ばかりで、観光客のことなど構っていられないようだった。地震や津波で市街地が容赦なく破壊されていたなら、どこにでも遠慮なくテントを張る。しかし、ブラックアウトは日常生活を根本から破壊しつつ、街は一切壊さないのだ。
仕方なく避難所になっていた中島公園の体育館に逃げ込んだ。まさか故郷で体育館に雑魚寝するとは思ってもみなかった。その夜、全道一の歓楽街であるススキノへ出かけてみると、居酒屋もジンギスカン屋も、キャバレーもソープランドも真っ暗だった。テレビによく登場する薄野(すすきの)交番も、六代目山口組直参の誠友会本部も闇の中で沈黙していた。
翌日早朝、知り合いから携行缶を調達し、稼働していたガソリンスタンドを回って給油、イチかバチかで根室に向かった。幸い燃料は間に合い、到着の一時間前には根室の電気も復旧した。
「......軽トラで来たのか?」
呆れ顔の証言者はこちらの要望を気持ちよくOKしてくれたばかりか、貴重な話を聞かせてくれた。帰路、居留守を使い続けるヤクザの、趣味の悪い密漁御殿を急襲したが、姐さんが不穏な声で応答するだけだった。
■ライターズ・ハイ
訂正箇所を急ぎ送って帰京する。ようやく書籍は校了した。こうなればどうしようもない。なにもかもあきらめるしかない。
すべての抑圧から解放され、盆休みと正月休みとゴールデン・ウイークが同時に到来したような高揚感に包まれた。アクセル全開で仕事をしていたのでエンジンはかかりっ放しで、すぐにでも取材に飛び出せるほど脳みそが仕上がっている。