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暴力団取材の第一人者、ABBAで涙腺崩壊──「ピアノでこの曲を弾きたい」

2020年4月21日(火)16時25分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

脳細胞がフルスロットルのところに、途方もない解放感がぶちまけられると、脳内のアドレナリンがナイアガラの滝になる。MDMAで逮捕されたエリカ様も違法薬物に頼らず、ライターズ・ハイともいうべき躁状態を会得していれば、大河ドラマを撮り直させることもなかったろう。苦労が多ければ多いほどトリップのスケールは大きくなる。五年がかりの仕事にケリが付いたのだから、ほぼ宇宙旅行だ。

とはいえ、仕事が終わったばかりでやることもない。いや、缶詰生活の中、締め切りを抜けたらやりたいことは多々あったはずだが、たいていは忘れてしまい、映画館に行くのが関の山である。何の気なしに映画を観にいった。行きつけにしている練馬のシネコンは、平日の昼、東京とは思えないほど客がいない。いびきを搔(か)いて寝たところで咎める客もおらず、朝から晩までぶっ続けで映画を観た。

そのうちの一本が『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』だった。第一作同様、全編ABBAのヒット曲を使ったミュージカル映画だ。

娘の結婚式に、父親かもしれない三人の男性――母親の元彼たちが参集する。前作の主人公だった母親は亡くなっており、娘はこの父親(かもしれない男性)たちに助けられながらトラブルを乗り越え、母親の残した小さな島のホテルを改装してオープニングパーティを開く......正直、たわいない内容で、凝ったストーリー展開も、目を見張るようなアクションも、どんでん返しもない。親子の情という泣きの旋律を刺激されても、この程度で涙を流せるほどウブでもない。普段、暴力団というアクの強い題材を取材しているのだ。正常位ではイケない。

ところがABBAのスマッシュ・ヒットである『ダンシング・クイーン』が流れた時、ふいに涙が出た――。

というより、涙腺が故障したのかと思うほど涙が溢れて止まらない。すぐに鼻水も出てきて、嗚咽が止まらず、なにが起きたのか把握できなかった。

けっこうな声で泣いたのだろう、数列前に座っていたカップルが、何事かとばかりこちらを振り返る。必要以上に映画をくさして恐縮だが、このシーンも幼稚な演出のどうでもいい場面だった。決して映画で感動したのではない。『ダンシング・クイーン』の歌詞もわかっていない。なにしろ英語は、単語を認識する程度しかわからない。

魂の奥底に入り込んだのは、紛れもなく音楽そのもの......ABBAのメロディーとリズムとハーモニーだった。

特に特徴あるピアノの旋律が直接感情の根元を揺さぶった。

〈ピアノでこの曲を弾きたい〉

雷に打たれるようにそう思った。身体が音楽で包まれていた。

ライターズ・ハイの精神状況で心の箍(たが)が外れており、外界の刺激に鋭敏だったせいではある。実際、音楽が耳からだけではなく、全身を通して身体に入り込み、肌が粟立つような感覚があった。ミュージシャンの一部が感覚のブースターとしてマリファナやドラッグを愛好する理由がわかる。音楽を取り込むチャクラが開いていた。俺は間違いなく覚醒し、トランスしていた。

ガキの頃からそれなりに音楽は好きで、ロックやポップスのミュージシャンには一家言あるつもりだった。

なのにABBAで。
まさかABBAで。

※前編:『サカナとヤクザ』のライター、ピアノ教室に通う──楽譜も読めない52歳の挑戦(まえがき抜粋)はこちら


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