暴力団取材の第一人者、ABBAで涙腺崩壊──「ピアノでこの曲を弾きたい」
担当が〝切れた編集〞の標本にしたいほどきれいにぶち切れ、築地市場の移転日をガチの最終リミットに設定しなければ、寿命が尽きるまで調べていたかもしれない。
デッドラインが確定しても、あがきは止まらない。入稿し、初校が出てからも、イニシャルの証言者を実名表記したくなり、担当にそれがいかに作品の価値を向上させるか長々とメールした。嫌というほど正論をぶつけられ、根負けした担当は渋々OKを出したが、根室のヤクザしか証言者の連絡先を知らず、そのヤクザが急に電話に出なくなった。こうなれば交渉のため根室まで行くしかない......わけではないが、俺の頭の中ではそう結論された。
ところがちょうど台風が接近中で、翌日の飛行機は全便欠航だった。印刷スケジュールをどれだけ詰めても、台風一過をゆっくり待つ余裕がない。バイクは風に弱い。車しかない。愛車の軽トラで青森までぶっ続けに走って、フェリー乗り場に直行した。
津軽海峡はもう時下はじめていた。
三十分後のフェリーはなんとか出航するらしく、ギリギリ最後のチケットを買えた。後ろに並んでいた客は待ちぼうけが決まり、「どうにかなんないのかよ!」と吠えている。どうあがいたところでフェリーにはこれ以上車を載せるスペースがなかった。次の便からしばらくは欠航が決まっており、いつ北海道に渡れるかわからないと説明されていた。
フェリーは揺れに揺れ、終わらないビッグサンダー・マウンテンと化した。慣れているはずのトラック運転手も便器を抱えて吐いていた。這々の体で函館に上陸し、安ホテルに駆け込んだ。
翌朝になると吐き気と共に台風も過ぎ去り、青空が広がっていた。かっこうの密漁日和(※凪の日)だったので、函館の密漁団のボスに会って数点の事実確認を終え、室蘭まで走って山腹のキャンプ場にテントを張った。ここまでは順調だった。早めに寝袋に潜り込んで就寝した。
翌午前三時七分、北海道胆振(いぶり)東部地震が発生する。
■北海道胆振東部地震
激しく揺れる大地の上に寝ていたため、地面の震動を直接ボディにくらって目が醒めた。寝ぼけ眼でテントから這い出て、眼下に広がる室蘭の街を見ていると、灯りがどんどん消えていく。どうみてもただ事ではない。すぐにラジオをつけた。
「全道が停電しています。ブラックアウトです。復旧のめどは立っていません」
夏の爽やかな北海道の朝なのに、アナウンサーの悲壮な声が似つかわしくなかった。出来の悪いジョークのようだが、これは訓練ではなく、映画でもない。
キャンプ場を撤収して街に降りると、コンビニエンスストアに食料を求める客が殺到していた。電気がないのでレジが動かず、クレジットカードも使えないので、すべてが手作業だった。同様に銀行のATMも動かないが、幸い、現金の手持ちはあった。