天皇と謁見した女性経営者グラハム(ペンタゴン・ペーパーズ前日譚)
私の立場は社長だったが、女性であることに変わりはなく、香港特派員だったボブ・マッケーブから、男性のみの会食や、相当な数の説明会などをこなす意志が「本当に」あるのかどうか質(ただ)す手紙を受け取った時は困惑した。多少憤慨した調子で「もちろん、やります」と、次のような返事を送った。「私は業務を遂行しているのですから、一緒に仕事をするのが女性であろうと男性であろうと関係ありません。たまたまこのような仕事に就いているのですから、出来るかぎりのことを学ぼうと考えています」
しかしながら、いくつかの女性特有の問題は避けようもなかった。これは、一九六五年一月末に、出発地サンフランシスコでオズ・エリオットに会った時、彼の表情に表われた一種恐怖の表情で端的に示されていたようにも思う。
私はその時、黄色と赤で塗り分けられた非常に目立つ大きな箱を抱えていた。箱には「ケネス」と書かれていたが、これはニューヨークの有名なヘアドレッサーの店名だった。一九六〇年代中頃には、長期の旅行中に美容院へ行く必要がないよう、後髪の部分に「フォール」というヘアピースを付け、前髪の部分は自前の毛を巻き上げて全体的にボリュームを持たせておくのが流行していたのである。私の派手な箱の中には、頭の形をしたフェルトにピン止めされた「フォール」、つまりかつらが鎮座していた。私を見るなり、オズは厳かに宣言した。「それを持ち運ぶのが私の役目とは考えないでいただきたい」。オズが箱を抱えている姿を想像すると思わず笑ってしまったが、私はもちろん「心配ご無用。私が自分で運びます」と答えた。この件はそれで片がつき、私たちは出発した。
最初の目的地は日本で、当時最大の数百万部の発行部数を誇った朝日新聞の訪問から旅程が始まった。次に訪れたのは大手の広告会社「電通」で、ここではまず「歓迎フィリップ・L・グラハム夫人」と書かれた大きな掲示に啞然とさせられた。そして玄関を入るなり、八〇人ばかりの主に若い女性たちが拍手で迎えてくれたのだった。典型的な日本式の歓迎なのであろうが、こちらはびっくりするばかりだった。
佐藤首相とも短時間ではあったが会談し、続く数日の間に、宮沢喜一、中曽根康弘とも個別に会談することができた。この二人はともに後に首相になった。これを告白するのはきまりが悪いのだが、私とディー・エリオットとは、この世界旅行で出会ったセクシーな男性のリストを作成しており、中曽根氏との会談の最中、彼は当然このリストの中に入るだろうなと考えていたことを記憶している。
二月一日に、私たちは天皇・皇后両陛下に謁見する機会を得た。伝えられたところによれば、これは、海外から個人の立場で訪れた女性に対して、陛下が初めて正式な会見を許諾された記念すべき出来事なのであった。荘重華麗でお伽話のような思い出の一方で、この会見には、確かにミュージカル・コメディーのような要素も含まれていた。謁見場所まで導かれる前に、私たちは縞ズボンの侍従による説明を受けた。私たちは彼に、天皇陛下と握手をしてよいものかどうか、握手ではなくお辞儀をすべきなのか、あるいは他の形で敬意を表するべきなのかどうか等々について質問をした。