天皇と謁見した女性経営者グラハム(ペンタゴン・ペーパーズ前日譚)
多くの失敗を経験したが、その失敗によって落ち込むことが多かった。なぜなら、まじめに働いていれば失敗など起こすはずがないと、当時の私は信じていたからである。私と同じのような立場にいる他の人たちは、決してミスなど犯さないと本当に思っていたのである。多くの経験を積んだベテランも含めて、すべての人が過ちを犯すものであるということが分からなかった。私の立場にある男性ならやらないようなことを、私がやっていたことは確かだった。
しかしながら、自信も持てず不安でいっぱいの生活の中で、少しずつ楽しみも見出せるようになっていった。そして無意識のうちにも、仕事そのものやこれから目指すべき行動について、私なりの新たな考え方を模索し始めたのである。実際、仕事を再開して一カ月ほどで、顔色も良くなり、歯をくいしばることも少なくなった。自分で「ガールスカウト流の最初の決心」と名づけていた悲壮な決意は、次第に熱烈な興味へと変化していった。ニューズウィーク誌の談話で述べたこともあるが、私は言わば「恋に落ちた」のである。私は仕事が大好きであり、新聞に惚れ、会社全体に愛情を抱いていた。フランク・ウォルドロップへの手紙に、私は次のように書いた。「会社を愛するというのは奇異に聞こえるかもしれませんが、これは新聞が生き物であるという、マコーミック大佐〔シカゴ・トリビューンのオーナー〕の言葉に賛同の意を表していることに他なりません」
学ぶ習慣を次第に身につけ始めたのも、この頃である。行動する中で学ぶ、自発性を重んじたモンテッソリ教育法が、ふたたび私の得意技として戻ってきた。長年にわたって主要な教材となったのが、ポスト紙やニューズウィーク誌の編集者または記者たちと行う取材旅行だった。三〇年以上たってみると、過ぎ去った年と同じくらいの回数になっているのだが、これらの旅行こそ、マスコミ会社の社長として経験し得る貴重な機会の中でも、私に最も豊かで実り多い体験をさせてくれたものだった。
社長としての初の見聞旅行
もちろん、フィルと一緒にヨーロッパ旅行をしたことは何度もあるが、社長夫人という立場では、最も面白い場面から外されてしまう場合が多い。しかし、初めて経営者としての立場で行った旅行は、実にユニークなものとなった。ニューズウィークの編集長オズ・エリオットと、「ディー」と呼ばれていた彼の当時の夫人、ディードリーとの世界一周旅行だった。旅行そのものは本当に楽しかったのだが、心配は息子のビルとスティーヴを、またもや残して出発しなければならないことだった。しかもこの時は六週間にわたって放りっぱなしにしたわけで、これは少々長すぎたかなとも思う。