距離が縮まるイラクとサウジアラビア
7月にISISから奪還されたモスルでは少しずつ市民生活が戻ってきている Suhaib Salem-REUTERS
<中東ではISISの存在が次第に小さくなっているが、イラクでは対ISISでまとまっていたたがが外れて、各政党の勢力関係はますます複雑になっている>
イラクがモースルのIS(イスラーム国)からの解放を宣言して、1か月半経った。これでISも終わりだ、というムードが漂うなか、果たして「ISの終焉=中東が安定」となるのだろうか。
イラクに関してみれば、逆だといえるだろう。この1か月の間、驚くような新展開が続いているからだ。まず第一に、7月24日、有力シーア派イスラーム主義政党であるイラク・イスラーム最高評議会(ISCI)の党首で現イラク与党連合「国民同盟」の長のアンマール・ハキームが、突然ISCIを辞め、新しい政党を作った。第二に、7月30日、シーア派のなかでも貧困層、若年層を中心に圧倒的な人気を誇ってきた暴れん坊、ムクタダ・サドルが11年振りにサウディアラビアを訪問した。
いったい何が起きているのか? この2つの出来事には、来年の選挙を見越したイラク国内の政界再編の動きであることは確かだが、そこには現在も解決の目途のつかないサウディアラビアとカタール、イランの緊張関係が影響している。
最初に、アンマール・ハキームがISCIを辞めたことに関して、簡単に歴史的な経緯を説明しておこう。ISCIは、1982年、当時のイラクのフセイン政権によって国を追われたシーア派のイスラーム法学者や宗教名望家の一族が、亡命先のイランで成立した、当時の反フセイン活動の大同団結組織である。設立自体、イランの全面的なてこ入れによって実現したものであり、当初の組織名「イラク・イスラーム革命最高指導評議会(SCIRI)」は、明らかに「イラク版イラン革命を目指す人々」を意味していた。
初代のSCIRI議長にはマフムード・ハーシェミーが就任したが、彼はその後イランの司法権長となるなど、初期においてはイラク人の組織なのかイランの国内組織なのか、判然としなかったのである。
【参考記事】「ゴースト」「ドイツの椅子」......ISISが好んだ7種の拷問
だが数年後にナジャフ出身のムハンマド・バーキル・ハキームを長として以降、徐々に「イラクの反政府勢力」との位置づけを強めていく。湾岸戦争以降、90年代にはクウェートなど湾岸諸国にもアプローチし、英米でもロビー活動に余念なく、イラク戦争開戦時にはSCIRIはアメリカが唯一支援対象とするシーア派イスラーム勢力となっていた。
この興隆を支えたのが、ムハンマド・バーキルを長とするハキーム一族だった。ムハンマド・バーキルの父、ムフスィン・ハキームは、60年代にイラクで唯一の最高位のシーア派宗教権威だった人物で、シーア派宗教界に絶対的な影響力を持っていた。その「家の名誉」は絶大であり、ハキーム家こそがシーア派宗教界のなかで最大、最高の地位を誇る一族なのだ、との自負は、並々ならぬものがある。
2003年にフセイン政権が打倒されると、ハキーム一族は晴れやかにイラクに凱旋帰国するが、ムハンマド・バーキルは同年秋に爆殺されてしまう。すると弟のアブドゥルアジーズが、ISCI(イラク戦争後、「イスラーム革命」の名前を掲げ続けるのはアメリカの手前よろしくないと思ったのか、SCIRIを改名して革命のRを取った)の長を引き継いだ。そしてそのアブドゥルアジーズが2009年に肺癌で死亡すると、息子のアンマールが長を継いだ。33年にわたり、SCIRI/ISCIはハキーム一族を中心とする家族経営だったのである。
そのISCIからハキーム家が外れた。ISCIの新たな長には老舗幹部のイスラーム法学者、フマーム・フマイディが就任、組織にとって初めてのハキーム家以外の長を抱えることとなる。創業一族なしに、ISCIは組織として成り立つのだろうか? イランと長い長い付き合いを資産にしてきたハキーム一族は、バドル機構などもっと使い勝手のいいパートナーを得たイランにとって、すでに用なしになったのだろうか? (もっとも、8月のロウハーニ大統領の就任式にはアンマールはちゃんと招待されており、イランとの関係は引きつづき良好ではある。)
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