モースル奪回間近:緊迫化するトルコとイランの代理戦争
10月1日、トルコ議会はIS対策のために派遣しているトルコ軍のバッシーカ(モースル北東)駐留について、1年間延長することを決定したが、そこにはモースル奪還にトルコが主導権を取ろうとの意図が見え見えである。
イラク政府は当然これに猛反対、内政干渉だとしてアラブ連盟や国連に訴えた。だがトルコのエルドアン首相はイラクのアバーディ首相に対して、「自力で国土を奪回できない連中は黙ってろ」とばかりの強気の発言。さらに物議をかもして、一気に両国の緊張が高まっている。
そのようななかで12日、アーシューラーの祭礼が行われた。アーシューラーとは、680年、シーア派の三代目イマーム・フサインがスンナ派のウマイヤ朝軍に包囲され、無残な死を遂げたことを悼むシーア派独特の宗教儀礼で、その痛みと怨みを語り継ぐためにシーア派信徒は、自らの体を傷つけたり追悼詩劇を演じたりする。
そのような故事来歴をもつ儀礼なので、スンナ派のISやトルコ軍がモースルを狙う現状に照らし合わせて、儀礼は政治化しがちになる。サドル潮流の元民兵組織の長、カイス・ハズアリは、アーシューラー期間中、「モースルを奪回することは、イマーム・フサイン殉教に対する報復だ」と述べた。
【参考記事】民族消滅に近づくイラクの少数派
ファッルージャ奪回以来、対IS戦争は、ますます宗派的色彩を強めているのだ。宗派的背景だけではない。イランとトルコという二大大国が背負う、歴史的記憶が全面的に押し出される展開となっている。
典型的なのが、8月末にシリアで行われたトルコ軍による軍事作戦だ。シリア北部、トルコ国境の町ジャラブラスをISから奪回するために、トルコ軍が中心に軍事作戦を展開したのだが、その作戦開始日8月24日は、1516年の「マルジュダービクの戦い」の歴史的日付と合致している。マルジュダービクの戦いは、オスマン帝国軍がダービク(ISのオンライン機関誌の名前にもなっている)という街を占領し、以降シリアを帝国支配下にいれたという歴史の分岐点ともいえる戦いだ。オスマン帝国史的には、「オスマン帝国が以降400年間シリアの安定をもたらした」戦いと位置付けられている。
トルコが歴史を振りかざす論調は、今に始まったことではない。昨年3月にイラクのティクリートがISから解放された時点でも、トルコ紙では「オスマン帝国の領土にイランが進出している!」といった記事が躍った。ティクリート奪還の中心となった人民動員機構が、イランの、特にイスラーム革命防衛隊が手ほどきした集団だったからだ。
ISがイラクに支配を広げ、異教徒視されたシーア派住民が決死の覚悟で対IS部隊を組織化した2年前は、「シーア派イランの野望」にアラブ諸国はピリピリした。今、イランの勢力拡大に刺激を受けたトルコが、これまた大国の歴史的栄光を背景に、シリアとイラクへと進出している。南のイエメンではイラン対サウディアラビアの代理戦争、北のイラクとシリアではイラン対トルコの代理戦争と、中東の冷戦はますます過熱化していくのか。
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