東芝は悪くない
アート作品の上に映った東芝本社(東京) Toshiyuki Aizawa-REUTERS
<東芝問題が大詰めを迎えようとしている。よくある経営の失敗が、米原子力事業で約1兆円の損失を出す「事件」に発展したのはなぜか。それは不正会計のせいでも東北大震災のせいでもない。利益よりも事業継続を優先し、大きなリスクを取りに走る体質のせいだ。日本の優良大企業に共通するその体質を変える必要がある>
東芝の行く先が見えてきた。
ここまで自重していたが、流れが決まりつつあるので、メディアで議論しても良いだろう。
東芝の問題の本質は何か。会計の利益操作の問題ではない。ましてや経営者の不適切なプレッシャーの問題などではない。
本質的には何も悪いことはしていない。東芝は何も悪くない。ただ、愚かであっただけだ。
東芝問題はたいした問題ではないのである。たいした問題でないのに、問題が大きくなったことが問題なのである。
なぜか。リスクをとりすぎてしまったのである。そのリスクに気づいていなかったこと、そしていまだに理解していないこと、それがすべてである。その理由を考えることが本質であり、我々にとっても重要なのである。
【参考記事】東芝が事実上の解体へ、なぜこうなったのか?
***
私は今世紀に入ったころから東芝を遠くから眺めていた。
最初の感想は、この会社の社長にだけはなりたくない、というものだった。
そのとき(ある授業中だった)私が述べた理由は、あまりに事業範囲が広くて、怖すぎて、社長なんかやったら身が持たない、というものだった。冗談で、10億円でももらえば別だが、と言ったが、すぐその後で、10億円もらって1年無事に過ごしたら、それですぐ辞めて隠居します、とも言った。今言い直すとすれば、10億円もらっても怖くてできない、あるいはゴーン社長よりも遥かにチレンジングな仕事だというところか。
その次の印象は、いい会社だな、というものだった。社員がとても良い。素晴らしい、というよりはみんな普通にいい社員なのだ。社会人野球の決勝では東京ドームの半分を東芝社員が埋め尽くし、ラグビーも秩父宮も国立も4分の1は東芝社員だった。技術もあり、まじめだし、それなりのプライドもある。ある意味、理想的な社員の集まりだった。
日本の大企業の「普通」
三番目の印象は、いつも財務的にピンチの会社だな、ということだった。かつては東芝機械ココム違反事件、アンチダンピング訴訟などだが、それを乗り切ると、20世紀末から21世紀初頭にかけては、株価の下落から買収リスクに悩まされた。あまりに多角化されているため、ファンドが丸ごと買収して、一事業だけ切り離し、売り飛ばして大儲けし、残りをゴミのように捨てるのではないか、という不安に付きまとわれた。
四番目の印象は、日本の優良大企業に典型的なのだが、中間管理職は能力的に優秀だが、それに比して、トップの力が弱く、トップはいつもいい人だが、いい人であるだけだ、という印象だった。そして、中間管理職は勇ましく「うちはトップがだめだ」と言うが、実際はそれを寛容に受け入れており、トップがいまいちだけど、俺らががんばって会社を支えている、という自負で働いている、ということだ。これは東芝に特有なことではなく、すべての日本の優良大企業の最大の特徴だ。世界的にはありえない組織だが、これが日本の優良大企業の「普通」であり、これが様々な問題の背景にある。
なぜ1人10万円で揉めているのか 2021.12.14
大暴落の足音 2021.12.02
いま必要な政策は何もしないこと 2021.11.11
経済政策は一切いらない 2021.11.10
矢野財務次官が日本を救った 2021.11.01
今、本当に必要な経済政策を提案する 2021.10.18
すべての経済政策が間違っている 2021.10.14