コラム

武士道と死刑制度──『花よりもなほ』で是枝裕和が示した映画の役割

2020年09月18日(金)10時55分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<死刑制度を下支えする世相は理論よりも感情がベースになっている。『誰も知らない』と『歩いても 歩いても』に挟まれたこの時代劇はあまり話題にならなかったが、是枝の作家性を示す上でとても重要な作品だ>

2本目の映画『A2』の撮影がほぼ終わって編集作業に没頭していた2001年春、是枝裕和監督の新作映画『ディスタンス』の完成披露試写の案内が届いた。オウム真理教をテーマにした映画だとは聞いていた。カルト教団の無差別殺人に加担した5人の実行犯が事件後に教団に殺害される。その命日に遺族が集まって一夜を過ごす。自分たちは加害の側なのか被害の側なのか。是枝はあえて未完成の脚本を俳優たちに渡し、その微妙な心情を即興で演じさせる。

テレビでドキュメンタリーを撮っていた頃、是枝もよく同じ番組枠で仕事をしていた。でもその時代に話したことはない。是枝の映画デビューは1995年の『幻の光』。僕の映画デビューである『A』は1998年。この頃にも接点はない。だから、招待客が限定される特別試写に自分が呼ばれたことが少し不思議だった。見終えてロビーに出たら、多くの著名人に囲まれた是枝がいた。そのまま歩き過ぎて下へ降りるエレベーターを待っていたら、いきなり是枝が走り寄ってきて、「思いは同じです」とささやいて走り去っていった。

その5年後、是枝は『花よりもなほ』を発表する。時代劇だ。ずいぶん思い切ったなと思いながら劇場に足を運んだ。以下は是枝のウェブサイトから引用したストーリーの紹介だ──時は元禄15年。生類憐みの令が出ていた頃の泰平の世の中。青木宗左衛門(宗左)は父の仇(かたき)を討つべく江戸に出て3年。ところがこの男、剣の腕前がからきしダメなへっぴり侍だった! 愉快に暮らす長屋仲間の大騒動に巻き込まれ、赤穂浪士の仇(あだ)討ちともビミョーに絡み合い、事態は思わぬ方向へ。さて、宗左の仇討ちのゆくえやいかに?!

カンヌ国際映画祭の受賞で話題となり大ヒットした『誰も知らない』と、やはり多くの海外映画祭で賞を獲得した『歩いても 歩いても』に挟まれたこの映画は、あまり話題にならなかったように記憶している。でも是枝の作家性を示す上で、とても重要な作品だ。

死刑制度の是非を論じるとき、日本では昔から仇(あだ)討ちという文化が認められていた(だから遺族に代わって国家が仇討ちするシステムが必要だ)と主張する人は少なくない。過去の文化や習俗を存続の理由にするのなら、日本では今も男はちょんまげで女はお歯黒をつけるべき、ということになる。そもそも仇討ちは特権階級だった武士の規律であって、一般庶民に許されていたわけではない。武士道を持ち出すなら、決闘を認める騎士道があったヨーロッパでは既に死刑を廃止している......理論ではこのように反論できるけれど、死刑制度を下支えする世相は論よりも感情がベースになっている。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、FDA長官に外科医マカリー氏指名 過剰

ワールド

トランプ氏、安保副補佐官に元北朝鮮担当ウォン氏を起

ワールド

トランプ氏、ウクライナ戦争終結へ特使検討、グレネル

ビジネス

米財務長官にベッセント氏、不透明感払拭で国債回復に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 5
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    「何も見えない」...大雨の日に飛行機を着陸させる「…
  • 8
    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…
  • 9
    ウクライナ軍、ロシア領内の兵器庫攻撃に「ATACMSを…
  • 10
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 4
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 5
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story