コラム

「収入圧縮」で知らぬ間に進むイギリスの貧困化

2018年04月06日(金)16時00分

格安スーパーには以前では考えられなかったような客層が押し寄せている Peter Nicholls-REUTERS

<金融危機もブレグジットの衝撃も乗り越えたように見えるイギリスだが、インフレ率と収入の上昇率を比較するとゆっくりと貧困化の道をたどっていることが分かる>

僕がイギリスに戻って再び暮らし始めたのは2010年、イギリスがまだ明らかに金融危機の余波を受けていた頃だった。今では失業率はとても低く、資産価値は高騰しているにもかかわらず、僕たちはいまだにあの時代にいるようだ。特にそう感じられる要素が1つある。「収入圧縮(earnings squeeze)」だ。

イギリスに暮らしていれば、月に数回は耳にする言葉だろう。時には「生活コストの危機(cost of living crisis)」とも呼ばれ、こちらのほうが気は利いてはいない言い方だが正確な表現だと思う。基本的に、ここ10年間のほとんどの期間、平均収入の上昇率はインフレ率を下回ってきた。もちろん「平均」だから個々の収入の上昇率はさまざまで、5年間まったく収入が増えていないとかいう事例証拠も山ほど耳にする。

インフレ率がかなり高かった時期もあり(2011年には一時5%超だったことも)、その間の賃金上昇率は遥かに後れを取っていた。理論上、イングランド銀行(中央銀行)はインフレターゲットを2%にする責任があるが、10~11年頃のまるまる2年間はインフレ率が3%を超えていた。

いかなる四半期でもインフレターゲットの上下1%を超えると、イングランド銀行総裁は財務相に状況説明の書簡を出さなければいけないことになっているから、これはよくジョークのネタにされていた。さすがに4回目、5回目、ともなると、いったいどんな言い訳をひねり出すのだろう、と。実際には、財務省がご立腹だとは誰も考えなかった。インフレになれば政府の巨額の債務が縮小するから、政府は多少のインフレは喜んで大目に見るだろう、というのが大方の見方だった。

もっと最近では、インフレ率が極めて低い(あるいはゼロ)状態で、ごく一時的にデフレ状態に陥った時期さえあった。イギリスにとっては異例のことで、イギリスが「日本式のデフレ・スパイラル」に向かっているのではないかと懸念する声が多くあがった。ところが、同じくここ数年来では久々に、イギリスの多くの労働者の賃金が実質ベースで上昇したのだ。雇用主にとって、インフレ率がゼロの時にさすがに1%の昇給を拒むのは難しいが、インフレ率が4%のときに2%の昇給を提示するのはそう難しくないようだ。

ブレグジット(イギリスのEU離脱)の国民投票の後はポンドが急落し(それ以降はほぼ以前の水準に回復している)、輸入品の価格が値上がりしたために、インフレ率の上昇を招いた。そのため再び、賃金上昇率はインフレ率に後れを取ることになった。今ではインフレ率が下がりつつあり、賃金上昇率が伸びつつあるが、それでもまだインフレ率には追いついていない。

一部の評論家は、収入圧縮が「緩和されつつある」と指摘したが、つまりは国民が今でも徐々に貧しくなっていて、そのペースが以前よりも緩やかになったというだけだから、その指摘は的外れだ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
メールアドレス

ご登録は会員規約に同意するものと見なします。

人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story