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ノートルダム大火災の悪夢に今もうなされ続けるフランスの闇
火災後、初めてのミサが行われたノートルダム大聖堂(6月15日) Benoit Tessier-REUTERS
<10月末、フランス南西部のバイヨンヌという街のモスクを襲撃した犯人は「これはノートルダムの復讐だ」「あの火災はイスラム教徒の放火だ」と叫んだ。それは、それを言ったらおしまいと皆が胸に秘めていた言葉だった──>
フランスで、イスラム教のモスクでテロが起きた。
ある白人男性が、モスクの扉に火をつけようとし、中から出てきたイスラム教の信者である70代の男性2人に発砲して重症を負わせたのである。10月28日のことである。
この事件は、奥深い大きなショックを人々に与えた。
なぜかというと、犯人は「ノートルダム大聖堂の復讐だ」「あの火事は、イスラム教徒のコミュニティのメンバーによる放火だった」と言ったのだ。
メディアや人々の対処は、表面は冷静だ。この発言に対して大騒ぎはしていない。でも、とうとう公に、その言葉が語られる時が来てしまった。このショックは、大変静かだが、不気味で巨大な波紋を投げかけたと感じる。
犯人は極右政党の立候補者
事件は、フランス南西部のピレネー・アトランティック地方にあるバイヨンヌという街で起きた。
逮捕されたのは、84歳のクロード・サンケという男である。1935年生まれ。教育省の役人を退職したあと、木に彫刻を施した大型のランプをつくっていた。
近隣住民は「このような事件を起こしても、ちっとも驚かない」
「家に武器をもっていて、それを人に見せさえした。最近では頭の調子がおかしかった」と証言している。
他にも、彼はとても孤独な老人で、孫はたまに来るが、息子はほとんど来ないという証言もあった。強迫観念にとりつかれていて、 時々とても暴力的だったという。時々市庁舎にやってきては、様々な苦情を訴えた。市長をひどい言葉で攻撃したこともあると、関係者は語る。
2015年には、地方選挙で、極右と呼ばれた「国民戦線」(FN)から立候補して、落選した。
国民戦線は2018年に「国民連合」と名前を変えて、マイルド路線を意識している。女性党首のマリーヌ・ルペンは、コメントを求められて、「このテロは『言うに堪えない(ひどい)行為だ』と言った」。
彼女の父親で党の創設者のマリー・ルペンだったら、むしろ犯人を擁護する発言をしたかもしれないが。
なぜノートルダム火災は起きたのか
これは人々の心に棘のようにひっかかっている問題である。
公式発表では、今もって火災の原因を特定していない。工事の人たちが規則に反してたばこを吸うことがあったのは認めたが、それが原因とはなっていない。電気系統のトラブルもいまだに調査中である。
現段階での調査報告は、火災報知器が鳴ったというのに防災体制はどうだったのか、火災の広がりを防げなかった責任の所在はどこにあるかに焦点があたっている。
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