コラム

宇宙誕生の138億年前から1秒もずれない「原子核時計」実現に一歩前進、日本人が活躍する「次世代型時計」開発の意義

2024年04月24日(水)14時50分

しかし、科学技術の発展で計測技術の精度が上がっていくと、地球の1日の長さ、つまり自転周期は、潮汐力の影響や季節変動によって一定ではないことが分かってきました。

世界共通の単位系を維持するための国際会議である「国際度量衡総会」は、1956年に1秒の基準を地球の自転周期(1日)から公転周期(1年)に変えました。「1秒は暦表時1900年1月0日12時の回帰年の31556925.9747分の1」と定義されましたが、この定義は一般の人に分かりにくいだけでなく、キリが良いという理由のみで基準点として選ばれた1900年に遡って再現実験をすることもできず、課題が残りました。

その後、国際度量衡総会は67年に、秒の定義をこれまでの地球の1日や1年を使った天文学的なアプローチから、原子の性質を使った量子力学的なアプローチに抜本的に改定しました。55年にイギリスの国立物理学研究所が実用化した「セシウム原子時計」を用いて、「1秒は、セシウム133原子の基底状態にある2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9192631770倍に等しい時間」としたのです。この定義の「秒」は「国際原子秒」と呼ばれています。後に「絶対零度のもとで止まった状態であるセシウム原子」という条件も加えられましたが事実上不可能なので、補正して利用されています。

原子時計より外界の影響を受けにくい原子核時計

セシウムは天然にはセシウム133のみが存在するため、すべてのセシウム133原子の挙動には個体差がないものとして扱えます。国際原子秒の定義は、平たく言えば「セシウム133原子が、一番低いエネルギー状態から2段階変化するときに放射する電磁波の振動が約92億回繰り返されたときの時間の長さ」です。

最少で1億年に1秒程度の誤差とされるセシウム原子時計は、原子の外側にある電子のエネルギー状態を変えるため、環境の電磁場の影響を受ける可能性が少なくありません。対して原子核時計は、原子核内のエネルギー状態を変えるため、原子時計よりも外界の影響を受けにくく、より誤差が少なく正確な時間を刻むことができます。

事実、トリウム229による原子核時計が実現すれば、誤差は317億年で1秒程度になると考えられています。ちなみに、原子核のエネルギー状態を変えるには、通常は大きなエネルギーが必要ですが、トリウム229は唯一、他の元素の1000分の1から100万分の1のエネルギーで原子核を励起できることが以前より知られていました。

トリウム229に照射すべきレーザー光のエネルギー(トリウム229のアイソマー状態のエネルギー)は測定が難しく、長らく確定されませんでしたが、2019年にアメリカチーム、ドイツチーム、今回の研究を主導した理研の山口専任研究員らの日本チームという異なる3チームが約8.3電子ボルト(波長149ナノメートルのレーザーに相当)とほぼ同じ値の測定に成功しました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story