コラム

卵子も精子も使わずに「発生後2週間のヒト胚モデル」作成、構成要素も完全再現...倫理問題クリアで不妊治療に貢献か

2023年09月15日(金)21時35分
人工ヒト胚をそのまま成長させると…

2021年5月には国際幹細胞学会が指針を改定し、それまで禁じてきた「14日を超えるヒト胚の培養」を容認した(写真はイメージです) Shutterstock

<著名な研究者も「現時点で最も重要な研究」とコメントするこの人工ヒト胚の誕生は、不妊治療を前進させる朗報か、それとも「人造人間」発生の可能性を示した禁断の研究だったのか>

イスラエルのワイツマン研究所のジェイコブ・ハンナ教授らは、卵子と精子から形成される受精卵を使わずに、多能性幹細胞を使って受精後14日目のヒト胚(成長した受精卵)にそっくりな「人工胚モデル」を作ることに成功しました。さらに、この人工ヒト胚は、母体の子宮内ではなく実験室で成長させていますが、妊娠検査薬で陽性反応を示すシグナルを出していることも確認されました。

研究成果は英科学総合誌「Nature」に6日に掲載され、報道機関の取材に対して「現在、行われている中で最も重要な研究」とコメントする幹細胞や発生学の研究者も現れるなど、注目を浴びています。

妊娠初期は、胚の中で各種の臓器のもととなる器官が形成される大事な時期です。妊活がなかなかうまくいかない人や、体外授精の成果が出るまでに時間がかかる人では、初期胚の異常や不定着が原因の場合が多いのですが、「赤ちゃんになる受精卵を使って実験し、廃棄する」ことの倫理的なハードルの高さから、原因解明のための研究は容易ではありません。

今回の研究は、不妊治療を前進させる朗報なのでしょうか。それとも、卵子も精子もなく、育てる環境である子宮も使わずに、単なる細胞から「人造人間」が発生する可能性を示した「禁断の研究」の側面が強いのでしょうか。詳細を見ていきましょう。

「人工胚モデル」はこうして作られた

2012年に京大の山中伸弥博士(現・京大IPS細胞研究所名誉所長)とケンブリッジ大名誉教授のジョン・ガードン博士が「再プログラム化(リプログラミング、初期化)によって分化した細胞に多能性をもたせる」研究でノーベル生理学・医学賞を受賞して以来、培養した多能性幹細胞からヒトの臓器や器官を作り出す研究は飛躍的に進んでいます。

近年は、「生命の源」と言える胚を多能性幹細胞から人工的に作り出す研究も盛んに行われており、今回、人工ヒト胚の作成に成功したハンナ教授の研究チームは、昨年夏にマウスで成功させています。

ハンナ教授らは、個体を構成するほぼすべての細胞に分化する能力(多分化能)を持つ多能性幹細胞を再プログラム化して、さらに未分化な「ナイーブ型」と呼ばれる多能性幹細胞にする方法を開発しました。

今回の研究では、ナイーブ型多能性幹細胞に化学物質を使って、初期ヒト胚で見られる4種の細胞(胎児になるエピブラスト細胞、胚盤になる栄養膜細胞、胎児の栄養となる卵黄嚢のもととなる内胚葉細胞、栄養膜の内側を覆う胚外中胚葉細胞)になるように誘導しました。約120個の細胞を正確な比率で混ぜ合わせて8日間培養すると、約1%の確率でヒト胚とよく似た状態が形成されました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

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