コラム

超音波照射でマウスが休眠状態に 「冷凍睡眠」より手軽に医療、宇宙旅行に応用可能か

2023年06月21日(水)08時55分

研究チームは、冬眠する性質を持たないラットにも同様の実験を行ってみました。すると、ラットでも体温が2℃低下して、不活性状態が誘発された兆候が見られました。冬眠する性質のない動物でも、脳内の「不活性スイッチ」を刺激することで「人工冬眠」状態にできるという示唆は、ヒトへの適用に大きな期待が持てる結果となりました。

研究者らは、なぜ超音波を視床下部に当てることで人工冬眠が起きるかを調べるため、超音波による熱や振動に反応しているタンパク質を探しました。すると、視索前野の神経細胞で、TRPM2と呼ばれるカルシウム透過性イオンチャンネルに関する遺伝子の発現レベルが高いことが分かりました。

TRPM2は超音波に反応して、神経細胞内部にカルシウムイオンを流入させていましたが、振動によるものなのか熱刺激によるものなのかは分かりませんでした。もっとも、研究者らは、超音波によって発生した熱によって体温調節機能が働いて体温が低下したという見方を強めています。

人類が太陽系を飛び出す日には不可欠な技術

今回の研究や20年の研究で示された神経細胞への刺激を用いた人工冬眠技術が将来的にヒトに適用できた場合、まずは医療分野での応用が期待されます。

現在でも、低酸素状態になったり出血したりしている脳に対して、保護や頭蓋内の圧力低下を目的として、体温(脳温)を32-34℃まで低下させる脳低温療法が採られる場合があります。心肺蘇生後、患者に対して実施する低体温療法は、脳細胞へのダメージが軽減できるというデータも数多く発表されています。実際に身体を冷やさなくても脳への刺激だけで「冬眠状態」にできれば、リスクはさらに低下できる可能性もあります。

宇宙開発においては、現在は月探査、火星探査への準備が進みつつある段階ですが、さらなる未来には、人類は太陽系を飛び出すかもしれません。フランスのストラスブール大学のフレデリク・マハン博士らの計算によると、太陽から一番近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリ(4.24光年の距離)ですら、現在の最高の科学技術を使っても到達までに約6300年かかるといいます。光速に近い飛行技術が開発される日が来るかもしれませんが、人工冬眠技術は不可欠でしょう。

実は、自分の遺体を冷凍保存した人は、67年のジェームス・ベッドフォード博士(元カリフォルニア大教授)以来、すでに数百例あります。究極の不老不死とも言える人工冬眠の技術の開発の話題は、これからも注目したいですね。

20250408issue_cover150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年4月8日号(4月1日発売)は「引きこもるアメリカ」特集。トランプ外交で見捨てられた欧州。プーチンの全面攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご

ワールド

中国、EU産ブランデーの反ダンピング調査を再延長
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story