コラム

他の動物のミルクを飲むヒトの特殊性と、大人が牛乳でお腹を壊す理由

2022年08月09日(火)11時25分
牛乳

乳糖耐性を持つか持たないかが生死を分けた時代もあった?(写真はイメージです) AndrewJohnson-iStock

<ヒトがヒト以外の哺乳動物のミルクを飲むことは、進化において想定されていなかった事態のはず。他の哺乳動物に見られない独特の食文化は、生死を左右するやむを得ない状況を経て広まったものかもしれない>

牛乳は健康に良いから飲みたいと思うものの、お腹の調子が悪くなるから飲めないという大人は少なくありません。これは、牛乳に含まれるラクトース(乳糖)を適切に分解(消化)できない結果、消化器に不具合が生じることが原因で、「乳糖不耐症」と呼ばれます。ヒトを含むほとんどの哺乳動物は、離乳するとラクターゼ(乳糖分解酵素)の活性が低下します。

不便に感じるかもしれませんが、そもそもミルクは、生まれたばかりの哺乳動物が他の食物を摂取できるようになるまでの間、栄養を摂るための食物です。大人になっても他の動物のミルクを飲んだり利用したりしているヒトは、風変わりな動物なのです。

現在、世界中の人々の3分の2は乳糖不耐症であると言われています。逆に言えば、哺乳動物としては本来予定されていなかった「大人になってもミルクを飲む習慣」に対して、3分の1は適応済みなのです。

ヒトは大人になっても乳糖を分解できる能力を、どのように獲得していったのでしょうか。新たな仮説が7月末、科学専門誌の『Nature』に掲載されました。

最古の利用は約1万年前、人類とミルクの歴史

ヒトのラクターゼの産生は、2番目の染色体にあるMCM6という遺伝子によって制御されています。乳児の頃はMCM6が働いてラクターゼが産生されて乳糖を分解できますが、大人になるにつれてMCM6が働かなくなります。けれど、MCM6に変異が起きると、大人になってもラクターゼを産生し続けることが知られています。これをラクターゼ活性持続症と言います。つまり、大人になっても乳糖耐性を持ち、ミルクを消化できるようになります。

人類による最古のミルクの利用は、約1万年前に中近東でヤギ、ヒツジ、ウシのミルクを利用することから始まったと考えられています。その後、中近東からヨーロッパに酪農が伝わりました。けれど、この時代の中近東やヨーロッパの人々の骨に残されたDNAから遺伝子の情報を調べてみても、乳糖耐性がある人は全く見つかりません。

これまでの研究では、人類が初めて乳糖耐性を獲得するのは人類が動物のミルクを利用するようになってから約4千年後で、その後、酪農の広がりとともに徐々に人類に広がり、現在は全世界の3分の1の人が獲得したと考えられていました。

英国のブリストル大を中心とする研究グループは、酪農の発展とラクターゼ活性持続性の広がりを調べるために、554か所の考古学的遺跡から採取した陶器の破片に付着した動物性脂肪の痕跡6899点を分析しました。その結果、ヨーロッパでは新石器時代(紀元前7000年頃~)以降に動物のミルクの利用が広まったこと、地域や時代によって差があったことが示されました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル、イラン核施設への限定的攻撃をなお検討=

ワールド

米最高裁、ベネズエラ移民の強制送還に一時停止を命令

ビジネス

アングル:保護政策で生産力と競争力低下、ブラジル自

ワールド

焦点:アサド氏逃亡劇の内幕、現金や機密情報を秘密裏
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はどこ? ついに首位交代!
  • 4
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 5
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 6
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 7
    「2つの顔」を持つ白色矮星を新たに発見!磁場が作る…
  • 8
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 9
    トランプが「核保有国」北朝鮮に超音速爆撃機B1Bを展…
  • 10
    300マイル走破で足がこうなる...ウルトラランナーの…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最強” になる「超短い一言」
  • 4
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇…
  • 5
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 6
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 7
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 8
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 6
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 8
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story