コラム

昆虫も痛みを感じている? 「苦痛」から考える人と動物の関係

2022年07月26日(火)11時30分
カマキリ

交尾後、メスがオスを食べることで知られるカマキリ。「痛覚がないから」と説明されているが(写真はイメージです) Valentin Baciu-iStock

<もしも昆虫が痛みを感じているとすれば、今後研究者らは頭を抱えることになる?>

人間以外の動物は痛みを感じているのでしょうか。犬や猫を飼っている人は、怪我をすると鳴き声を上げたり沈痛な表情をしたりすること、動物病院でもらった痛み止めを与えると状況が改善することを経験的に知っています。だとしたら、哺乳類全般は痛みを感じると考えても良さそうです。ならば、鳥、ヘビ、カエル、魚といった他の脊椎動物も痛みを感じるのでしょうか。さらに原始的とされるタコ、クラゲ、カニ、昆虫などの無脊椎動物はどうでしょうか。

7月6日に科学誌の「英国王立協会紀要B」に掲載された論文では、「昆虫が痛みを感じている可能性がある」と報告されました。「動物は痛みを感じるか」は科学的な興味だけでなく、食べる時や動物実験などで人がその生物をどのように扱うべきかにも大きく影響する問題であるため、注目を集めています。

「痛みに昆虫が反応しない場合のメカニズム」に着目

痛みは、自身の体が傷害される時に感じる嫌な感覚です。不快であるからこそ、体の不調や危険を知らせる警報として重要な役割を果たしています。我々は痛みがあるからこそ、生命を脅かす危険をいち早く察知し、回避できます。

痛みを引き起こす刺激は特定のものではなく,機械刺激(指を切ったり足をぶつけたりした時の刺激)、温度刺激(熱いものや冷たいものに触れた時の刺激)、化学刺激(化学物質などで炎症が起こる刺激)、電気ショック(静電気や感電)など、強い刺激なら種類を問わず痛みを感じます。これを侵害刺激と呼びます。

体の内外からの刺激は電気信号となって感覚神経を伝わり、脊髄に送られます。ここで電気信号は化学物質に変換されて脳に伝わり、「痛み」として認識されます。

これまでの「昆虫は痛みを感じない」とする説は、中枢神経系が哺乳類などと比較して発達していないためだと説明されてきました。たとえば芋虫の体の一部に刺激を与えると、全身を曲げて「痛みに耐えているような」反応を示しますが、これは脳を介したものではなく反射的行動だと考えられています。

ロンドン大クイーン・メアリー校とテヘラン大の国際研究チームは、「痛みに対する昆虫の反応」ではなく、「痛みに昆虫が反応しない場合のメカニズム」に着目しました。

たとえば人の場合、非常に強い痛みを受けた場合はかえって痛みを感じなくなるという現象が知られています。熊に遭遇して体の一部を食いちぎられた場合、逃げのびてホッとした途端に痛みを感じたなどの証言があります。逃げる行動を優先するために、脳内で鎮痛作用のある化学物質が生成されて痛みを抑制するためです。これらの物質は、脳内モルヒネとか脳内麻薬などとも呼ばれています。肉体的苦痛の時に脳内で生成されるβ-エンドルフィンの鎮痛効果は、モルヒネの6.5倍という研究もあります。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

プーチン大統領、復活祭の一時停戦を宣言 ウクライナ

ワールド

イスラエル、イラン核施設への限定的攻撃をなお検討=

ワールド

米最高裁、ベネズエラ移民の強制送還に一時停止を命令

ビジネス

アングル:保護政策で生産力と競争力低下、ブラジル自
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪肝に対する見方を変えてしまう新習慣とは
  • 3
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず出版すべき本である
  • 4
    トランプが「核保有国」北朝鮮に超音速爆撃機B1Bを展…
  • 5
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 6
    「2つの顔」を持つ白色矮星を新たに発見!磁場が作る…
  • 7
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 8
    ロシア軍高官の車を、ウクライナ自爆ドローンが急襲.…
  • 9
    ロシア軍、「大規模部隊による攻撃」に戦術転換...数…
  • 10
    ロシア軍が従来にない大規模攻撃を実施も、「精密爆…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 5
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 6
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 7
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 8
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 9
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 10
    「世界で最も嫌われている国」ランキングを発表...日…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 3
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 4
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 6
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 9
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 10
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story