コラム

昆虫も痛みを感じている? 「苦痛」から考える人と動物の関係

2022年07月26日(火)11時30分

今回の研究チームは、昆虫が外傷を負った時に産生される神経細胞内の物質(神経ペプチド)を同定しました。ヒトの脳内モルヒネとは異なる物質ですが、昆虫の痛みを抑制して、痛みを感じずに行動するのに使われている可能性があると仮説を立てています。

カマキリのメスは、交尾後にオスを頭部から食べる習性があります。この時、一部の品種を除いてオスはさほど抵抗しません。これまでは「カマキリには痛覚がないからだ」と説明されてきましたが、研究チームは「神経ペプチドが産生されて、痛みが抑制されているからだ」と理由付けます。

オスを食べたメスのほうが栄養状態は良くなり、食べないメスと比べて倍以上の卵を産むという研究もあります。オスにとっては食べられるほうが自分の遺伝子を有利に残せるのです。痛みより食べられることを優先することは、カマキリのオスにとって理にかなったメカニズムと言えます。

その動物が痛みを感じるかどうか

これまでの常識に反して昆虫が痛みを感じるとなると、研究者らは頭を悩ませることになります。

「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)」では、「動物を科学上の利用に供する場合には、その利用に必要な限度において、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない」(41条)と定めています。

近年はサルやマウスなどの動物実験では、苦痛を感じさせないための実験手順が厳しく求められています。けれど、昆虫は「痛みを感じない」とされているため、モデル動物として広く使われるショウジョウバエを傷つけたり殺したりするタブーについては、深く考察されずにきました。

その動物が痛みを感じるかどうかは、取り扱いを考える際の大きな分かれ目になります。

世界で最も先進的な動物福祉法を持つイギリスは2006年、人間以外の脊椎動物すべてを保護対象(対象地域は基本的にイングランドとウェールズ)としました。2000年頃から「魚類は痛みを感じている」という考えが広まってきたからです。さらに、同法は「無脊椎動物が痛みまたは苦痛を感じることを科学的なエビデンスにより証明し、適切な国内当局が納得した場合に限り、対象の無脊椎動物にも適用することができる」と言及されていました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総

ビジネス

米石油・ガス掘削リグ稼働数、6月以来の高水準=ベー

ワールド

ローマ教皇の容体悪化、バチカン「危機的」と発表

ワールド

アングル:カナダ総選挙が接戦の構図に一変、トランプ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story