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日本の「働き方改革」が、若者たちの「未来」に影を落とす?
さてこの「あたりまえの基準」について解説する前に、そもそも「あたりまえのこと」とは何か、について私なりの言葉で説明します。「あたりまえのこと」とは、誰かから【3回】も念を押されたら腹が立つことだと覚えてください。
たとえば、常日ごろからビジネス書を読むことが「あたりまえ」になっている人が、「仕事に関連する本ぐらい読みなさい」と誰かに言われたらイラッとするでしょう。1回なら無視できますが、2回も3回も同じことを言われたら、
「あたりまえだろう! 仕事に役立つ本は定期的に買って読んでるよ」
と言い返したくなるはずです。この人にとって、それが「あたりまえのこと」だからです。
しかし本を読まない人にとっては、読書が「あたりまえ」になっていません。「自己投資のために本ぐらい読みなさい」と言われたらイラッとせず、「そうですね」「キチンと読みます」などと言って素直に受け入れます。そのように指摘されても仕方がない現状があるから腹が立つこともないでしょう。
自分で決めたことはキチンとやり切ることが「あたりまえ」。目標があれば、それを絶対達成するのが「あたりまえ」。どんな目標でも達成させる人、常に結果を出す人は、このように「あたりまえ」と感じている基準が高いのです。
「限界の基準」も高いか?
「あたりまえの基準」が高い人は、同時に「限界の基準」も高いと言えるでしょう。「限界の基準」とは、けっこう大変だけれど頑張ればそれぐらいはできるだろう、という目安です。
たとえば月に10冊本を読むことが「あたりまえ」になっている人がいるとします。しかし世の中には、毎日2冊とか3冊も本を読むことが「あたりまえ」になっている人もいます。月に60冊も90冊も読む計算となります。
しかし月に10冊本を読む人にとっては、
「そりゃあ、毎日2冊、月に60冊の本を読めと言われたら不可能ではないけど、現実には難しい。どんなに頑張っても週に5冊、月に20冊が限界」
と言うはず。したがってこの人にとっての「あたりまえの基準」は、月10冊の読書。苦労することなくできます。「限界の基準」は、月20冊。頑張れば月20冊の読書もできる、ということです。しかし、誰かに「読め」と言われないかぎり読書しない人にとっては、本を読まないことが「あたりまえ」ですから、この方の「あたりまえの基準」は月0冊です。そして
「どんなに頑張っても週に1冊が限界。私は本を読むのが遅いから」
と言うのであれば、「限界の基準」は月4冊です。「あたりまえの基準」が低いと「限界の基準」も低くなることが普通です。
「限界の基準」は一定のレベルまで高まり続ける
「以前は限界だと思っていたが、いつの間にか限界ではなくなっていた」
このようなことは、よくある話です。「こんなハードなスケジュールをこなすなんて、とても無理だ」と思っていたのに、がむしゃらにやっていたら意外にもこなすことができた。
「限界だと思っていたが、限界じゃなかった」
ということです。
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