ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマーの建国の父と呼ばれるアウンサン「将軍」という呼び方
皆さんこんにちは。
灼熱のヤンゴンより新町智哉がお送りしております。
ミャンマーはめちゃくちゃ暑いです。
酷暑です。
遂に日中の気温が40度を超え、そして紫外線レベルが14に達する(12を超えると皮膚病の恐れがあるそうです)灼熱の季節がやってきました。
私は普段もっぱら自転車移動なのですが、一度外に出掛けると日焼けが凄いので暑いのに長袖を着て日焼け対策するときもあるくらいです。
停電も更に酷くなってきてクーラーは勿論、扇風機も使えない状態でさすがに色々と体調を崩し出している日々ではありますが、何とか頑張って耐えようと思います。
今回はミャンマーで知らない人はいない英雄アウンサン将軍の呼び方についてとある方から教えていただいた話を皆さんと共有したいと思います。
本題の前にお知らせをさせてください。
週一で配信しております
ミャンマー言いたい砲台ラヂオ
放送後記と合わせて、音声と文章でお楽しみいただけたらと思います。
もう一つお知らせです。
ヤンゴンの花売り(物売り)の子たちへの小さな支援「フラワー&バナナ」始めました。
この小さな子供たちの事を是非知っていただき活動にご賛同いただけたら幸いです。
それでは本題です。
ミャンマーにあまり詳しく無い方でもアウンサン・スーチーさんの名前は知っていると思います。
そのスーチーさんが何故有名なのかというと、そのお父さんがそもそも有名だったからというのがあります。
建国の父と呼ばれ、先の大戦の時代、ミャンマーの為に戦い、独立の直前で暗殺され伝説となった人物です。
この方の呼び方ですが、私も何の意識も無くアウンサン将軍と呼んでいました。
これには色々と理由もあります。
まずアウンサンという名前はミャンマーでは凄くポピュラーなのでアウンサンとだけ読んでもピンとこない事があるので、将軍という役職を付ける方が一般的です。
ボージョーアウンサン(Bogyoke Aung San)と呼んだりもします。
ボージョーとは将軍という意味です。
彼を敬愛して止まない人は沢山います。
事実ヤンゴンのあちこちに銅像があり、ミャンマー全土でもかなりの数があります。
現在の紙幣にもなっています。
平服のアウンサンが1000チャット紙幣になっている
ミャンマー人も敬愛を込めてアウンサン将軍と言う人が沢山います。
しかし、とある方とお話をする機会があり、その中でこの考えがおかしいと言う事に気付かされました。
それはアウンサンの晩年、彼がどんな意思を持って活動していたかという事に関係しています。
じっくり説明しようとすればとても長くなってしまう為かなり割愛してお伝えします。
気になった方は是非色々と調べてみてください。
将軍として戦闘の最前線で闘っていたアウンサンは最期の時、政治家として亡くなっています。
彼は軍のリーダーから政治のリーダーを目指しました。
解釈は様々かもしれませんが、軍が政治を行うのではなくシビリアンコントロールの元に政治が主導で国を創っていくべきだと考えていたのです。
どうしても戦闘で勝利を上げ戦っていたイメージが強いのですが、確かに彼は次のステージへ進もうとしていたのです。
次のステージへミャンマーを導こうとしていたのでした。
軍の圧倒的な威光をもってではなく、国民一人一人の声を政治に反映させ国を作っていこうとしていたのです。
ミャンマーの多くの人はシンプルにアウンサンの事が好きです。
尊敬し、敬愛し、神格化されている彼ですが、本当にそうであるなら彼の最後の意思をもっと尊重するべきではないか?
彼は軍人としてではなく文民として国を作っていこうとしたのではないですか?
彼が暗殺された時に着ていたのは軍服ではなく平服でしたね?
そんな彼を「アウンサン将軍」と呼ぶ事は果たして正しいことですか?
その方は多くのミャンマー人にそう問いかけるそうです。
私はこの話を伺った時に本当に自分はまだまだミャンマーを知らないなと反省しました。
このような大事な事も中途半端な理解でミャンマーに暮らしていたのだと。
とは言え、そうなるとどう呼ぶのが正しいのでしょうか?
その答えは話をした時には聞けなかったのですが(いつか聞いてみたいと思います)
一つ考えついたのが「ウ・アウンサン」です。
「ウ」を名前の前に付けると~さんという意味になり特に年配の方への敬称です。
(若い人だと「コ」を付けます)
因みに女性は「ド」若い人には「マ」となります。
※かしこまった敬称というような意味合いで若い人でも「ウ」や「ド」を使う事があるようです。
アウンサンさんというのも変なのでここは敢えてミャンマー語の敬称を使って表現するのが良いのかなと考えました。
もし何か日本語での表現でも良いものがあれば是非教えてくだされば幸いです。
私も「ウ・アウンサン」の最後の意思をキチンと理解し、呼び方からキチンと変えていかないといけないと思った体験でした。
そして外国人である私たちこそ、そういった事をミャンマーの国の人に問うて伝えていかなければいけない事だなと思っています。
軍服の「アウンサン将軍」では無く平服の「ウ・アウンサン」こそ彼が望んだ形なのだと今は私の中で確信に変わっています。
彼の英雄は戦争から政治へ、戦いから闘いへ舞台を移しミャンマーの未来を想っていたのだと想像すると若くして亡くなった事は本当に悔やまれますが、より身近に感じられるような気がしています。
スーチーさんが「アメースー」(スーお母さん)と親しみを込めて呼ばれる事があるように、厳格なイメージで建国の父と呼ばれる「ウ・アウンサン」も本当はもっと優しさ溢れる方だったのだろうなと勝手に思いを馳せています。
今回は少し堅い話になってしまいましたが、とても大事で素敵な事だと思ったので皆さんにお伝えしたくなりました。
そしてみんなのお母さんであるスーチーさんが一秒でも早く正しい状態で活動が出来る状態にしていくべきだと改めて強く、強く思う次第です。
それではまた明日。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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