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ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーでの日々の生活の中揺れ動く国民感情を受けて

ある日のヤンゴンの空模様、雨期はまだ明けそうにない:筆者撮影

皆さんこんにちは。
ヤンゴンより新町がお届けしております。
今回の記事では昨日お伝えした通り「揺れ動く国民感情」と題してミャンマーの人たちの想いをあくまで私なりにではありますが感じたままにお伝えしたいと思います。

本題に入る前にお知らせです。
製作発表のプレスリリースから時間が経ってしまっていますが、現在オールミャンマー産オリジナルブレンドハーブティーを絶賛制作中でございます。
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販売開始のお知らせにはもう少し時間がかかるとは思いますが、もう少しお待ちいただけたらと思います。
プレスリリースをご覧になっていない方は是非そちらの記事の方も読んでお待ちください。
よろしくお願いします。

それでは本題です。
実際に今、ミャンマー国民の皆さんがこの情勢に対してどういう考えを持っているのか、どいう想いで日々を暮らしているのか?
結論を先に言うと、それはミャンマーに暮らしているからと言って外国人である私にはそうそう簡単に計り知れるものではないと思います。
ずっとヤンゴンに居て何のかんのでクーデター後も安全に暮らしているとわからなくなってしまいそうなものですが、そもそもこの国は正式にわかっているだけで136もの民族があります。

その場所、人、立場によってさまざまな意見があってしかるべきですし、当然時期によってもその考えは変わってくるものでしょう。
ですから、捉え方を一方的にしないようにというのは本当に気を付けないといけないと思います。
「ミャンマーに携わって長い」は勿論「今ミャンマーに居る」からと言ってその一つの情報が大きな意味合いを持ってしまうのはミャンマーの実情から大きく離れてしまう事態を引き起こす事になりますし、それは今のミャンマーにとって物凄く不利益な事に繋がると思っています。
勿論私からの情報、意見もその内の一つではあると思います。

その大前提はキチンと抑えてもらった上で聞いていただきたいのは、そんな中であっても時間の経過をミャンマーで過ごしているという事には少なくともずっとミャンマーの外に居るよりは大きなアドバンテージがあるのかなと思っています。
こればかりはこちらにいる事で感じ続けている変化というのをある程度正確に捉える事は不可能ではないと考えています。

これが正しい表現かはわかりませんが、感情の定点観測とでも表現してみましょう。
長々と前置きをしましたが、今日皆さんに伝えたかったのはクーデターが起こった直後から、1年が経ち、更に今1年7カ月が経ったミャンマーヤンゴンにおいて、私の周りのミャンマーの人たちにどのような感情変化が起こったのかというのを私なりに感じたところでお伝えします。

一言で表現するなら
「みんな複雑な感情を秘めている」
というところだと思います。
よくよく考えてみると当たり前の事ではあるのですが、私が直接話のできるミャンマー人と言ってもそのバックグラウンドは様々で、今は日本やそれ以外の海外にいる人たちも、国内にしてもヤンゴンだけではなく様々な場所にいます。
私自身はこれまでほとんどの時間をヤンゴンで過ごしているので全国を渡り歩いて知り合いが増えた訳ではないのですが、やはりヤンゴンは最大都市なので様々な地方から人が集まっています。

コロナまではその多くがヤンゴンに留まり続けて生活をしたのですが、今はそれぞれの地方に様々な理由で地元やその近くの地域で暮らしている人も少なくありません。
全てを詳しくお伝えする事はできませんが、直接の知り合いはともかく、その親族、近しい友人などまで広げれば戦闘に兵士として加わりいわゆる国軍と戦っている人もそれを支援する人もいるのだろうなと想像するのは難しくありません。

そもそも私はミャンマーの中の多民族を意識して仕事をする機会がほとんどなかった訳ですが、思い返してみると20人程いた社員たちの宗教はそういわれると最大多数派の仏教だけではなくバライティに富んでいました。
関わってきた何百人のミャンマー人までを考えると本当に多種多様だったと思います。

クーデター後からこれまでそんな人たちと色んな話をしてきた訳ですが、最近思うのは、それぞれの生活のレベルの差(安全面や経済面)が開いてしまっているという事。
そしてそれによる分断が起こりかけているのでは?
という事です。
様々な面で生活レベルの差が起こってきたからといってそれが即全ての分断へとつながらないところはミャンマーの人たちの素敵なところだとは思うのですが、やはり生活が苦しい人達はその鬱屈とした想いをどこにぶつければ良いのかというのは間違いなくあると思います。

私が特に印象的だったのは、今のところ、安全上や経済的に大きく困窮している人たちと比べれば比較的落ち着いている人たちの感情の変化です。
私と直接交流のある人達がそれぞれ直接こう表現した訳ではないのであくまで私がそういった人たちと話して感じた事なのですが、今普通に生活ができてしまっている人たちはどこか負い目を感じながら生きているのかな?といった印象を受けました。

今日食べる物が満足にないだけでなく、今日命が無事にあるかもわからない人が同じ国の中にいるのに、自分は平穏と生活してしまっている事に関して負い目を感じているという事なのでしょう。
確かに、外国人である私もそのことに申し訳なく思う事があるくらいなので同じミャンマー人がそう感じてしまうのは仕方のない事だと思います。
勿論、世界一寄付をするミャンマー人たちです。
私と交流のある人達も様々な形で自分の生活の中から寄付をしたりボランティアをしたりしていますが、それでもそう感じてしまう事はあるようでした。

そういったところから分断が起こらないようにして欲しいなと私は思っています。

今の情勢は残念ながらここまで長期戦になっています。
これからどうなるかはわかりませんが、更に長期戦になるとしてもどうか気を強くもって今まさに命がけの人もそうではなく平穏に暮らしている人も連帯を持っていて欲しいなと願っています。

民主化というのはあくまで手段であり、この国がより良い方向に向かっていくというのが全ての国民の共通の願いだと思います。
内戦状態で、多くの人が軍による統治を望んでいないとしても、全ての国民が戦闘をする必要はありませんし、そんな事は現実的ではありません。
「軍に反対するならお前も武器を取って戦え」
何て言うのはあまりにナンセンスな言説ですね。

平穏に暮らしている人たちの役目というのも凄く大事だと思います。
真正面から闘っている人たちも平穏を求めて闘っている訳であり、いつかその平穏に戻ってくるのです。
今、平穏に暮らす事しか出来ない人たちも、むしろそういう人たちが多く必要だという意識で今を過ごして欲しいなと、そんな事を自分と交流していくミャンマーの人にも伝えていきたいなと思っています。

揺れ動く国民感情の中暮らす外国人の自分にとってもっとミャンマー人の想いに寄り添って動く為にまだまだ足りないものだらけだなと痛感しています。
次回はその為に自分が今やろうとしている事についてお伝えしたいと思います。
以前も少し話しましたがそのプロジェクトの続編になります。
明日終わるかもしれないこの長期戦をどう乗り越えていくか、日本の皆さんにも引き続きお付き合いいただければ幸いです。

それではまた明日。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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